今の斜里町
オホーツク総合振興局の最東部にあり、オホーツク海に面する町です。幅約25km、長さ約65kmの知床半島を羅臼町と二分し、中央部を知床連山が縦に走ります。世界自然遺産の登録地域がある知床国立公園は、険しい山岳と深い原始林、海蝕の断崖が続きます。町の中央には斜里岳の山麓の台地と斜里川の流域に平坦地が広がり、畑作や漁業が営まれます。
今の斜里町の区域の人口は、2020年の国勢調査で11,418人です。今の区域で数えた1980年の15,795人とくらべると27.7%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.7%です。
主な産業:畑作(ジャガイモ・テンサイ・小麦)とサケ・マスの定置網漁業、観光です。
特産品・名産
- サケ・マス水揚げが日本一とされる
- ジャガイモ畑作の主要な作物
- テンサイ畑作の主要な作物
- 小麦畑作の主要な作物
見どころ・祭り
- 知床国立公園世界自然遺産の登録地域がある
- 斜里岳道立自然公園斜里岳の山麓の公園
- 斜里朱円周堤墓群道指定の史跡
- 津軽藩士シャリ陣屋跡町指定の史跡
- 旧国鉄根北線越川橋梁国の登録有形文化財
木ミズナラ花ハマナス鳥オジロワシ斜里町の木・花・鳥
斜里町のなりたち
斜里町(しゃりちょう)は、北海道オホーツク地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに斜里村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は斜里郡に属していました。
「斜里町」という名前
「斜里」は、アイヌ語の「サル」または「シャル」が変わった名で、どちらも「アシの生えているところ」を意味します。斜里川の下流に広がる葦原を指した呼び名とされます。日高の「沙流」と同じ語のため、斜里を「ピンネサル」(男のサル)、沙流を「マツネサル」(女のサル)と呼び分けたという説もあります。1915年(大正4年)に斜里村、1939年(昭和14年)に斜里町になりました。
まちの成り立ち
斜里には、貞享年間に松前藩が宗谷場所を設けたころから漁場が開かれていました。1791年(寛政3年)に宗谷場所から東の地域が分けられて斜里場所となり、幕府の直轄のもとで近江出身の柏屋喜兵衛が請負人となって、漁業や道路づくりを進めました。1869年(明治2年)に開拓使が置かれると、網走・斜里郡は名古屋藩の支配を受けました。1879年(明治12年)4月に斜里外4村戸長役場が置かれ、明治の終わりからは農業の移民も入りました。1915年(大正4年)4月1日、斜里・朱円・遠音別・止別・蒼瑁の5村をまとめて二級町村制が施行され、斜里村が生まれました。1919年(大正8年)には小清水村が分かれ、1925年(大正14年)には鉄道が斜里まで通じました。1939年(昭和14年)1月1日に町制を施行して斜里町となり、1943年(昭和18年)4月1日には南部が上斜里村(今の清里町)として分かれています。2005年(平成17年)には知床が世界自然遺産に登録されました。
年表
- 1915年4月1日大正4年斜里郡の斜里・朱円・遠音別・止別・蒼瑁の5村の区域で二級町村制が施行され、斜里村が発足した。種類:町村制 出典:www.town.shari.hokkaido.jp
- 1919年4月1日大正8年斜里村から小清水村が分かれた。種類:分割 出典:www.town.shari.hokkaido.jp
- 1939年1月1日昭和14年斜里村が町制を施行し、斜里町となった。種類:町制施行 出典:www.town.shari.hokkaido.jp
- 1943年4月1日昭和18年斜里町と小清水村の一部が分かれ、上斜里村(今の清里町)が発足した。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。