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訓子府町くんねっぷちょう

訓子府町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の訓子府町

オホーツク総合振興局管内の常呂郡にある町で、北見地域に属し、北見市の南西部に隣り合います。山に囲まれた盆地のような地形で、寒暖の差が大きい土地です。常呂川と訓子府川が流れます。畑作と酪農が盛んで、メロン、タマネギ、テンサイ、水稲などが作られています。生活圏は北見市と重なり、町のマスコットはメロンがモチーフです。

今の訓子府町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,677人です。今の区域で数えた1980年の7,773人とくらべると39.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.1%です。

4,677人人口(2020年)
−39.8%1980年からの増減
213km²面積(概算)
22人/km²人口密度
39.1%65歳以上の割合
7,7731980199020052020
15歳未満 11.4%15〜64歳 49.5%65歳以上 39.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:畑作と酪農が中心で、メロン・タマネギ・テンサイなどを作っています。

特産品・名産

  • 訓子府メロン町のブランドとして知られるメロン
  • 訓子府カツ丼卵でとじず、醤油ベースのタレをかける
  • タマネギ1919年に栽培が始まった作物

見どころ・祭り

  • 訓子府温泉保養センター町内の温泉保養施設
  • 緑丘B遺跡出土物町の文化財に指定された出土品
  • 増田遺跡出土物町の文化財に指定された出土品

木オンコ(イチイ)花エゾムラサキツツジ訓子府町の木・花

訓子府町のなりたち

訓子府町(くんねっぷちょう)は、北海道オホーツク地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに訓子府村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は常呂郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
213km²今の面積

「訓子府町」という名前

「訓子府」は、アイヌ語の「クンネプ」(黒いもの)に由来するとされています。湿地を流れて水が黒く見える川を指した名と説明されています。「クンネ」は「黒い」を表す語です。町は北見市の南西に隣り合い、常呂川の支流の訓子府川が流れています。

まちの成り立ち

訓子府では、1896年(明治29年)にアイヌの人が家族数人と移り住み、1897年(明治30年)5月には高知県の人たちが45人でオロムシ(居武士)に入りました。1909年(明治42年)に野付牛村役場の管轄、1915年(大正4年)に置戸村役場の管轄に入っています。1911年には網走本線の訓子府駅が開業し、1919年にはタマネギの栽培が始まりました。1920年(大正9年)6月1日に置戸村から分かれて二級町村制を施行し、訓子府村となりました。1951年(昭和26年)11月1日に町制を施行して訓子府町になり、1952年と1959年には置戸町との境界を変えて、字常盤の一部を分けています。1897年に入ったのは北光社移民団のうちの13戸45人でした。1902年には穂波・清住、1904年には実郷・西富・福野の開拓が始まり、1906年には実郷と穂波で米が試作されました。畑作と酪農が盛んな町で、メロンのブランドで知られます。

年表

  1. 1920年6月1日大正9年置戸村の一部が分かれて二級町村制を施行し、常呂郡の訓子府村となった。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  2. 1951年11月1日昭和26年訓子府村が町制を施行し、訓子府町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  3. 1952年9月1日昭和27年訓子府町の字常盤の一部が置戸町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
  4. 1959年11月1日昭和34年訓子府町の字常盤の一部が置戸町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

訓子府村→訓子府町1889〜今

参考にした資料