今の藤岡市
群馬県南西部にあり、鮎川・鏑川・烏川・神流川が流れます。北部には市街地や平地が広がり、西部から南部は御荷鉾山などの山地です。江戸時代には絹の集散地、近代には養蚕の先進地として発展しました。世界文化遺産の高山社跡がその歴史を伝えています。鬼石地域には三波石峡や下久保ダムがあり、桜山公園では冬桜が見られます。藤岡ジャンクションを通じて首都圏や信越方面とも結ばれています。
今の藤岡市の区域の人口は、2020年の国勢調査で63,261人です。今の区域で数えた1980年の63,594人とくらべると0.5%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.6%です。
主な産業:養蚕や瓦づくりの歴史を持ち、園芸作物などの農業と工業が営まれています。
特産品・名産
- 藤岡瓦鬼瓦や和瓦などの伝統的な製品
- シンビジウム市内で栽培される洋ラン
- 冬桜みかん鬼石地域の特産果実
見どころ・祭り
- 高山社跡世界文化遺産の構成資産
- 桜山公園冬桜が見られる公園
- 三波石峡神流川沿いの国の名勝
- 七輿山古墳国の史跡に指定された古墳
木クスノキ、モクセイ、スギ花フジ、サルビア、冬桜藤岡市の木・花
藤岡市のなりたち
藤岡市(ふじおかし)は、群馬県西部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、10の町村がありました。小野村・神流村・美土里村・藤岡町・美九里村・三波川村・美原村・平井村・日野村・鬼石町です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の藤岡市になりました。
今の名前「藤岡市」は、1920年にあった藤岡市の名前を受け継いでいます。ほかの9の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の藤岡町が約8km²だったのに対し、今の藤岡市は約180km²と、およそ21.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は多野郡に属していました。
「藤岡市」という名前
「藤岡」の地名には、日蓮にかかわる由来が伝えられています。佐渡から帰る途中にこの地へ立ち寄った日蓮が、常が岡に経を納め、富士山の分霊をまつったことから、「富士岡」と呼ぶようになったという説です。地名の由来にはほかの説もあります。1889年には藤岡町と小林村が合わさって藤岡町が発足しました。1954年の市の誕生でも、藤岡の名が市名に受け継がれました。
まちの成り立ち
藤岡は鮎川・神流川などの流域に開け、江戸時代には絹の集散地として栄えました。1889年4月1日の町村制で、緑野郡藤岡町と神流村・小野村・美土里村・美九里村などが発足しました。1896年4月1日には緑野郡・多胡郡・南甘楽郡が合わさり、多野郡となっています。1954年4月1日、藤岡町・神流村・小野村・美土里村・美九里村の1町4村が新設合併して藤岡市が生まれ、1955年3月1日に平井村・日野村を編入しました。
南部では、1889年に鬼石町・三波川村・美原村が発足しました。1954年10月1日にこの1町2村が新設合併し、改めて鬼石町となります。2006年1月1日、鬼石町は藤岡市へ編入されました。御荷鉾山の山間部から神流川沿い、北部の平地に至る現在の市域は、昭和の新設合併と平成の編入によってまとまりました。
養蚕の歴史を伝える高山社跡は、2014年に「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として世界文化遺産に登録されました。鬼石地域には三波石峡と冬桜で知られる桜山公園があり、合併前の地域の歴史と景観が今も受け継がれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、緑野郡に鬼石町・小野村・神流村・三波川村・平井村・藤岡町・美九里村・美土里村、多胡郡に日野村、南甘楽郡に美原村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
- 1896年4月1日明治29年緑野郡・多胡郡・南甘楽郡が再編され、多野郡となった。種類:郡の変更 出典:www.pref.gunma.jp
- 1954年4月1日昭和29年藤岡町・神流村・小野村・美土里村・美九里村が新設合併し、藤岡市が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
- 1954年10月1日昭和29年鬼石町・三波川村・美原村が新設合併し、改めて鬼石町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
- 1955年3月1日昭和30年平井村・日野村が藤岡市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gunma.jp
- 2006年1月1日平成18年鬼石町が藤岡市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.gunma.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。