今の神流町
群馬県南西部、神流川の谷に沿って広がる山あいの町です。中央を流れる川へ多くの支流が注ぎ、急な山の斜面と谷沿いに集落が点在します。平坦な土地が少なく、段々畑を利用した農業や林業が営まれてきました。恐竜センターをはじめ、滝や山、キャンプ場など自然を生かした見どころがあります。春の鯉のぼり祭りでは清流の上を鯉のぼりが渡り、谷の風景を彩ります。
今の神流町の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,645人です。今の区域で数えた1980年の5,469人とくらべると69.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は61.5%です。
主な産業:農林業のほか、商業・サービス業や恐竜センター、山や清流を生かした観光が営まれています。
特産品・名産
- こんにゃく
- 味噌
- 赤じゃが
見どころ・祭り
- 神流町恐竜センター
- 万葉大吊橋
- 早滝
- 神流町鯉のぼり祭り
木けやき花みつばつつじ鳥めじろ神流町の木・花・鳥
神流町のなりたち
神流町(かんなまち)は、群馬県西部地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。中里村・神川村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の神流町になりました。
今の名前「神流町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の神川村が約63km²だったのに対し、今の神流町は約115km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は多野郡に属していました。
「神流町」という名前
「神流」は、町の中央を西から東へ流れる神流川と共通する名です。2003年(平成15年)4月1日、万場町と中里村の新設合併によって神流町が誕生しました。それまでの万場町は、1889年に発足した神川村が町制を施行して改称した町です。神川村と現在の神流町は同じ自治体名ではなく、川沿いの二つの町村が合わさって新しい町になっています。
まちの成り立ち
神流町の神流川沿いには縄文時代の遺跡が多く、弥生時代や平安時代にも人々が暮らしていました。谷を通る道と清流に沿って集落が育ち、江戸時代には幕府直轄の山中領に属しました。町域は下山郷と中山郷に分かれ、急斜面の畑や山林を利用する暮らしが続いてきました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の町域には南甘楽郡神川村と中里村が発足しました。1896年(明治29年)4月1日に緑野郡・多胡郡・南甘楽郡が統合され、両村は多野郡に属することになります。1926年(大正15年)4月1日、神川村は町制を施行し、万場町と改称しました。中里村は村のまま歩み、2003年(平成15年)4月1日に万場町と新設合併して神流町が誕生しています。
平らな土地が少なく、水田をもたない町では、段々畑や山林を利用した農林業が営まれてきました。こんにゃくや味噌、赤じゃがなどの地域の食が残る一方、恐竜センターやキャンプ場、滝や山への登山も来訪者を集めています。春には神流川を渡る鯉のぼりが谷を彩り、川沿いの道の駅万葉の里や万葉大吊橋が観光の拠点になっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、南甘楽郡神川村と中里村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
- 1896年4月1日明治29年緑野郡・多胡郡・南甘楽郡の統合により、神川村と中里村は多野郡に属することとなった。種類:郡の変更 出典:www.pref.gunma.jp
- 1926年4月1日大正15年多野郡神川村が町制を施行し、万場町と改称した。種類:町制施行 出典:www.pref.gunma.jp
- 2003年4月1日平成15年多野郡万場町と中里村が新設合併し、神流町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。