今の下仁田町
群馬県南西部、鏑川上流の谷と妙義山・荒船山の山地に広がる町です。西は長野県に接し、東側は上信電鉄と上信越自動車道で高崎や首都圏につながります。関東と信州を結ぶ街道の歴史をもち、下仁田ねぎやこんにゃくの産地として知られます。独特の地形や地質をもつ下仁田ジオパーク、蚕種貯蔵施設の荒船風穴など、自然と産業の歴史が重なる見どころがあります。
今の下仁田町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,576人です。今の区域で数えた1980年の15,228人とくらべると56.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は50.8%です。
主な産業:下仁田ねぎやこんにゃくを中心とする農業と食品加工、山岳・産業遺産の観光が盛んです。
特産品・名産
- 下仁田ねぎ
- こんにゃく
- しいたけ
見どころ・祭り
- 荒船風穴
- 神津牧場
- 荒船山
- 妙義山・石門
木すぎ花さくら鳥うぐいす下仁田町の木・花・鳥
下仁田町のなりたち
下仁田町(しもにたまち)は、群馬県西部地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。西牧村・小坂村・馬山村・青倉村・下仁田町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の下仁田町になりました。
今の名前「下仁田町」は、1920年にあった下仁田町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の下仁田町が約20km²だったのに対し、今の下仁田町は約189km²と、およそ9.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は甘楽郡に属していました。
「下仁田町」という名前
「下仁田」の名は、昭和の合併で新しくつくられた名前ではなく、鏑川上流の町に受け継がれてきた地名です。1889年(明治22年)の町村制で下仁田町が発足し、1955年(昭和30年)には周囲の四村と新設合併して、改めて下仁田町となりました。旧町の名が新しい町全体の名になり、現在も上信電鉄下仁田駅や名産の下仁田ねぎに使われています。
まちの成り立ち
下仁田町は鏑川上流に位置し、関東と信州を結ぶ街道の町として発展しました。西牧には関所が置かれ、町の中心部では街道を行き交う人々と周囲の山村の物資が集まりました。幕末には天狗党と高崎藩が戦った下仁田戦争が起こり、町内にその跡が残っています。中小坂の鉄山や、養蚕に使う蚕種を低温で保存した荒船風穴も地域の産業の歩みを伝えています。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の町域には北甘楽郡下仁田町・青倉村・馬山村・坂牧村・西牧村が発足しました。坂牧村は1890年に小坂村へ改称しています。1950年(昭和25年)4月1日には郡名が北甘楽郡から甘楽郡に変わりました。1955年(昭和30年)3月10日、下仁田町・青倉村・馬山村・小坂村・西牧村の一町四村が新設合併し、現在につながる下仁田町が誕生しました。1956年4月1日には南牧村の一部である下郷地区が町に加わりました。
農業では下仁田ねぎとこんにゃくが名産となり、山側には神津牧場や荒船山、妙義山などの観光資源が広がります。2011年に下仁田ジオパークが日本ジオパークに認定され、2014年には荒船風穴が富岡製糸場と絹産業遺産群の構成資産として世界文化遺産に登録されました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北甘楽郡下仁田町・青倉村・馬山村・坂牧村・西牧村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
- 1890年3月11日明治23年北甘楽郡坂牧村が小坂村へ改称した。種類:改称 出典:www.pref.gunma.jp
- 1950年4月1日昭和25年北甘楽郡が甘楽郡へ改称し、下仁田町・青倉村・馬山村・小坂村・西牧村の所属郡名が変わった。種類:郡の変更 出典:www.pref.gunma.jp
- 1955年3月10日昭和30年甘楽郡下仁田町・青倉村・馬山村・小坂村・西牧村の一町四村が新設合併し、改めて下仁田町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
- 1956年4月1日昭和31年甘楽郡南牧村の下郷地区が下仁田町へ移った。種類:一部編入 出典:www.town.shimonita.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。