今の南牧村
群馬県南西部、南牧川と支流の谷に集落が並ぶ村です。西は長野県に接し、周囲は荒船山系の険しい山々に囲まれています。平地が少なく、斜面に築かれた石垣の家や畑が山村の景観をつくります。こんにゃくや花き、山菜などの生産が営まれ、木炭や農産物の加工品もつくられています。線ヶ滝、三段の滝、蝉の渓谷などの水辺や山々、火とぼしの伝統行事が村の魅力になっています。
今の南牧村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,611人です。今の区域で数えた1980年の5,893人とくらべると72.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は65.2%です。
主な産業:花きやこんにゃくなどの農業、木炭・農産物加工と山村の自然を生かした観光が営まれています。
特産品・名産
- こんにゃく
- 花き(なんもくの花)
- しそ巻き
見どころ・祭り
- 線ヶ滝
- 三段の滝
- 蝉の渓谷
- 黒瀧山不動寺
木すぎ花あかやしお(ひとつばな)鳥うぐいす南牧村の木・花・鳥
南牧村のなりたち
南牧村(なんもくむら)は、群馬県西部地域の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。磐戸村・尾沢村・月形村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の南牧村になりました。
今の名前「南牧村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の尾沢村が約47km²だったのに対し、今の南牧村は約119km²と、およそ2.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は甘楽郡に属していました。
「南牧村」という名前
「南牧村」の名は、1955年(昭和30年)3月15日に磐戸村・月形村・尾沢村が新設合併した際に採用されました。読み方は「なんもく」です。村の中央には南牧川が流れ、川とその支流に沿って集落が並んでいます。合併前の三村の名を組み合わせた村名ではなく、三村の区域を一つにした新しい村の名として、現在まで使われています。
まちの成り立ち
南牧村は南牧川と支流の谷に沿って集落が育った山村です。谷を囲む急な斜面には石垣で支えた家や畑がつくられ、山林と小さな農地を利用する暮らしが続いてきました。砥石を産した砥山の絵図や道具、黒瀧山不動寺、星尾の人形などが残り、山村の産業や信仰を伝えています。大日向の火とぼしは、夏の夜に川沿いを火で彩る行事として受け継がれてきました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の村域には北甘楽郡磐戸村・月形村・尾沢村が発足しました。1950年(昭和25年)4月1日、北甘楽郡は甘楽郡へ改称します。1955年(昭和30年)3月15日に三村が新設合併し、南牧村が誕生しました。一方、旧磐戸村の下郷地区は1956年4月1日に下仁田町へ移り、現在の村域から外れています。
こんにゃくや山菜などの生産に加え、近年は花き栽培が育ち、なんもくの花として全国の市場へ出荷されています。木炭や炭を使う製品づくりも行われ、道の駅オアシスなんもくには農産物や加工品が並びます。線ヶ滝・三段の滝・蝉の渓谷、立岩などの山や渓谷が広がり、石垣の集落とともに山村ならではの景観をつくっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北甘楽郡磐戸村・月形村・尾沢村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
- 1950年4月1日昭和25年北甘楽郡が甘楽郡へ改称し、磐戸村・月形村・尾沢村の所属郡名が変わった。種類:郡の変更 出典:www.pref.gunma.jp
- 1955年3月15日昭和30年甘楽郡磐戸村・月形村・尾沢村が新設合併し、南牧村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
- 1956年4月1日昭和31年甘楽郡南牧村の下郷地区が下仁田町へ移った。種類:一部編入 出典:www.town.shimonita.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。