今の上野村
群馬県の最西南端、神流川の源流域にある村です。西は長野県、南は埼玉県に接し、周囲には秩父・荒船・御荷鉾の山々が連なります。険しい山地と深い森林が広がり、集落は神流川や支流の谷沿いに営まれています。清流にはイワナやヤマメが生息し、林業や木工品づくり、イノブタの飼育が行われています。不二洞や上野スカイブリッジ、温泉など、山村の自然を楽しむ場所もあります。
今の上野村の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,128人です。今の区域で数えた1980年の2,309人とくらべると51.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は45.9%です。
主な産業:林業と木工品製造、イノブタやしいたけなどの生産、自然を生かした観光が中心です。
特産品・名産
- イノブタ
- 十石みそ
- しいたけ
見どころ・祭り
- 不二洞
- 上野スカイブリッジ
- 旧黒澤家住宅
- シオジの原生林
木しおじ花やしおつつじ鳥たか上野村の木・花・鳥
上野村のなりたち
上野村(うえのむら)は、群馬県西部地域の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに上野村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。
1920年の時点で、この区域の町村は多野郡に属していました。
「上野村」という名前
「上野村」という自治体名は、1889年(明治22年)の町村制施行で、乙母・川和・勝山・新羽・野栗沢・乙父・楢原の七つの村がまとまった際に生まれました。江戸時代にはこの地域が山中領の上山郷と呼ばれ、神流川上流の山村として営まれてきました。その後も村名は変わらず、昭和・平成の大合併を経た現在まで上野村の名が続いています。
まちの成り立ち
上野村は神流川の源流域に開けた山村です。川沿いから縄文土器や石器が出土し、古くから人々が暮らしていました。今井兼平の一族が土着したという伝承が残り、戦国時代には小幡氏の支配を受けました。徳川氏の関東入国後は幕府直轄領となり、江戸時代には山中領の上山郷として、乙母・川和・勝山・新羽・野栗沢・乙父・楢原の七つの村に分かれていました。山林は将軍家に献上する鷹の繁殖地としても管理されました。
1631年には十石峠の麓に白井関が置かれ、信州への往来が取り締まられました。峠を越える道は佐久地方から米穀を運ぶ道でもあり、山間の生活を支えていました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で七つの村を合わせ、南甘楽郡上野村が発足します。1896年(明治29年)4月1日に郡が統合され、多野郡に属することになりました。その後は他の市町村と合併せず、村として歩みを続けています。
豊かな森林を生かした林業や木工品づくり、イノブタの飼育やしいたけ栽培が育ち、不二洞や上野スカイブリッジなどの観光施設も整いました。2004年に湯の沢トンネルが開通し、下仁田方面との行き来が大きく改善されています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、乙母・川和・勝山・新羽・野栗沢・乙父・楢原の七村の区域を合わせ、南甘楽郡上野村が発足した。種類:町村制 出典:www.uenomura.jp
- 1896年4月1日明治29年緑野郡・多胡郡・南甘楽郡の統合により、上野村は多野郡に属することとなった。種類:郡の変更 出典:www.pref.gunma.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。