今の甘楽町
群馬県南西部、稲含山から鏑川の南岸へ向かって広がる町です。南部は山地、中央は丘陵、北部は平坦な農地で、地形に応じた集落や農業が営まれています。小幡は江戸時代の陣屋町で、楽山園や雄川堰、古い町並みが残ります。福島地区には上信電鉄が通り、野菜やキウイフルーツ、りんごなどが栽培されます。山間の秋畑の景色と小幡の歴史的な町並みが身近にある町です。
今の甘楽町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,491人です。今の区域で数えた1980年の13,937人とくらべると10.4%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.1%です。
主な産業:野菜やキウイフルーツ・りんご、畜産などの農業と、歴史的な町並みを生かした観光が盛んです。
特産品・名産
- キウイフルーツ
- こんにゃく
- 轟みそ
見どころ・祭り
- 楽山園
- 織田宗家七代の墓
- 旧小幡藩武家屋敷
- 宝積寺の垂れ桜
木あかまつ花そめいよしの鳥きじ甘楽町の木・花・鳥
甘楽町のなりたち
甘楽町(かんらまち)は、群馬県西部地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。秋畑村・福島町・新屋村・小幡村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の甘楽町になりました。
今の名前「甘楽町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の秋畑村が約26km²だったのに対し、今の甘楽町は約59km²と、およそ2.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北甘楽郡・甘楽郡に属していました。
「甘楽町」という名前
町名の「甘楽」は、町が属する甘楽郡と共通する名です。1959年(昭和34年)2月1日、小幡町・新屋村・福島町の一部が新設合併した際に甘楽町が誕生しました。合併では旧福島町の全域が加わったのではなく、星田・君川・田篠は富岡市に入り、残る区域が新町に加わっています。小幡・新屋・福島という旧町村名は、現在も地域の呼び名として残っています。
まちの成り立ち
甘楽町は鏑川南岸の平地から稲含山へと続く地域に広がります。中世には小幡氏や白倉氏が勢力をもち、小幡氏の国峯城や白倉氏の城が築かれました。1590年の豊臣秀吉による小田原攻めで国峯城も落城します。江戸時代の小幡は織田氏、のちに松平氏の陣屋町となり、庭園の楽山園や雄川堰、武家屋敷などが城下の景観をつくりました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、現在の町域には北甘楽郡小幡村・秋畑村・新屋村と福島町が発足しました。小幡村は1925年(大正14年)5月10日に町制を施行して小幡町となり、1950年には郡名が甘楽郡へ変わりました。1955年(昭和30年)3月16日、小幡町と秋畑村が新設合併して、改めて小幡町が生まれます。1959年(昭和34年)2月1日、この小幡町と新屋村、福島町のうち富岡市へ移る星田・君川・田篠を除いた区域が新設合併し、甘楽町が誕生しました。
小幡の町並みには養蚕で栄えた商家や繭倉庫が残り、赤レンガの繭倉庫は歴史民俗資料館として使われています。北部には上信電鉄が走り、農業では野菜やキウイフルーツ、りんご、畜産が営まれています。山間の秋畑と平地の福島、陣屋町の小幡がそれぞれの景色を保ちながら、一つの町を形づくっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北甘楽郡小幡村・秋畑村・新屋村・福島町が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.gunma.jp
- 1925年5月10日大正14年北甘楽郡小幡村が町制を施行し、小幡町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.gunma.jp
- 1950年4月1日昭和25年北甘楽郡が甘楽郡へ改称し、小幡町・秋畑村・新屋村・福島町の所属郡名が変わった。種類:郡の変更 出典:www.pref.gunma.jp
- 1955年3月16日昭和30年甘楽郡小幡町と秋畑村が新設合併し、改めて小幡町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
- 1959年2月1日昭和34年甘楽郡小幡町・新屋村と、福島町のうち星田・君川・田篠を除く区域が新設合併し、甘楽町が発足した。福島町の星田・君川・田篠は富岡市へ編入された。種類:新設合併 出典:www.pref.gunma.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。