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中島村なかじまむら

1920年には2の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の中島村になりました。

2町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の中島村

福島県の中通り南部にあり、西白河郡に属する村です。阿武隈川と泉川が流れ、平らな土地が広がります。阿武隈川の西側には古代の東山道が通っていました。村の中央にある童里夢公園なかじまは、カラクリ・ヨカッペ時計で知られ、村の産物を売る産直館もあります。中世の滑津舘跡など、古い歴史の跡も残ります。

今の中島村の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,885人です。今の区域で数えた1980年の4,448人とくらべると9.8%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.3%です。

4,885人人口(2020年)
+9.8%1980年からの増減
19.2km²面積(概算)
254人/km²人口密度
30.3%65歳以上の割合
5,2741980199020052020
15歳未満 12.9%15〜64歳 56.8%65歳以上 30.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:平らな土地を生かした農業が営まれています。

見どころ・祭り

  • 童里夢公園なかじまカラクリ・ヨカッペ時計がある公園
  • 奥州汗かき地蔵尊異変の前に汗を流すと伝わる石仏
  • 滑津舘跡平安時代に築かれた城館の跡
  • 鷹ノ図村の歴史と文化の一つに挙げられる名所
  • ふれあいの郷アルカリ性単純温泉の村の温泉施設

木赤松花サツキ中島村の木・花

中島村のなりたち

中島村(なかじまむら)は、福島県県南地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。滑津村・吉子川村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の中島村になりました。

今の名前「中島村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の滑津村が約12km²だったのに対し、今の中島村は約19km²と、およそ1.6倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は西白河郡に属していました。

21920年の町村の数
1回合併・編入の回数
19km²今の面積
1955年いちばん新しい合併

「中島村」という名前

中島村の名の由来は、はっきりしていません。1955年(昭和30年)1月1日に、西白河郡の滑津村と吉子川村が合併して、中島村が発足しました。村章は村名の「中」の字を図案にしたもので、1971年に決まりました。

まちの成り立ち

福島県の中通り南部にあり、西白河郡に属する村です。阿武隈川と泉川が流れる、平らな土地です。阿武隈川の西側には古代の東山道が通り、にぎわっていました。平安時代に築かれた滑津舘の跡や、奥州汗かき地蔵尊の言い伝えも残ります。1889年(明治22年)の町村制で、この地域には滑津村と吉子川村が発足しました。昭和の大合併で、1955年(昭和30年)1月1日に、滑津村と吉子川村が合併して、西白河郡中島村が誕生しました。1971年(昭和46年)には村章が決まり、のちに村の木のあかまつと村の花のさつきも決まりました。村の中央には、1997年(平成9年)に開園した童里夢公園なかじまがあります。園内のカラクリ・ヨカッペ時計は、祖父が中島村の出身という縁で、音楽プロデューサーの小室哲哉さんから贈られました。公園には村の産物を売る産直館もあります。代畑の汗かき地蔵は高さ約170センチメートルの座像で、背面に1335年(建武2年)の建立と刻まれています。村内にはふれあいの郷という温泉施設もあります。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西白河郡に滑津村と吉子川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1955年1月1日昭和30年滑津村と吉子川村が合併し、中島村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

中島村1955〜今
滑津村1889〜1955
吉子川村1889〜1955

参考にした資料