今の船橋市
東京湾に面した海岸から、内陸の台地へ広がる市です。海老川沿いの町や船橋駅周辺には商店が集まり、臨海部には港と工業地帯があります。総武線や京成線、東武線などの沿線には住宅地が続き、北部では農業も営まれています。旧船橋町の市街地だけでなく、葛飾・法典・二宮・豊富などの地域が市域を構成しています。海辺の産業と、鉄道で都心につながる住宅都市の性格が重なっています。
今の船橋市の区域の人口は、2020年の国勢調査で642,907人です。今の区域で数えた1980年の479,439人とくらべると34.1%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は24.3%です。
主な産業:商業と工業が集まり、小松菜などの農業や東京湾の漁業も続いています。
特産品・名産
- 小松菜市内で栽培され、料理にも使われる葉物野菜。
- にんじん市内の農家が栽培する特産野菜。
- ホンビノス貝三番瀬などで漁獲される二枚貝。
見どころ・祭り
- ふなばしアンデルセン公園童話をテーマにした公園。
- ふなばし三番瀬海浜公園東京湾の干潟に面する公園。
- 南極観測船SHIRASE 5002南極観測に使われた船を見学できる施設。
木サザンカ花ヒマワリ・カザグルマ船橋市の木・花
船橋市のなりたち
船橋市(ふなばしし)は、千葉県葛南地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。葛飾村・八栄村・法典村・塚田村・二宮村・豊富村・船橋町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の船橋市になりました。
今の名前「船橋市」は、1920年にあった船橋町の名前を受け継いでいます。ほかの6の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の船橋町が約14km²だったのに対し、今の船橋市は約85km²と、およそ6.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は千葉郡・東葛飾郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、東葛飾郡は2005年(平成17年)3月28日に廃止されました。
「船橋市」という名前
船橋の名は、海老川に小さな舟を並べ、その上に板を渡して橋にしたことにちなむと伝えられています。昔は川幅が広く、通常の橋を架けることが難しかったとされています。江戸時代には川の東の五日市村、西の九日市村と海神村をまとめて船橋村、船橋宿と呼びました。その呼び名が1889年の船橋町を経て、1937年の市名に受け継がれました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、現在の市域には船橋町・葛飾村・八栄村・塚田村・法典村・二宮村・豊富村が発足しました。海辺の町と内陸の村々は、初めは別々の自治体でした。1894年に総武鉄道が開通し、その後も京成や野田方面への鉄道が通ると、船橋は東京と結ばれる町へ変わっていきました。
二宮村は1928年に二宮町となり、葛飾村は1931年に葛飾町となりました。1937年4月1日、船橋町・葛飾町・八栄村・法典村・塚田村の二町三村が合併し、船橋市が発足しました。船橋町だけが市へ昇格したのではなく、周囲の町村を合わせた新設合併でした。
戦後の1953年8月1日には二宮町、1954年4月1日には豊富村を編入しました。これにより、市は海岸部から北の台地へ広がりました。昭和30年代からは海岸の埋立と工業用地の整備、住宅団地の建設が進み、鉄道沿線の市街地も発展しました。
海老川沿いの古い町、葛飾や法典の地域、二宮・豊富の村々が集まり、今の船橋市になりました。港と工場のある海辺、商店の集まる駅周辺、農地も残る北部という違いには、合併前の町村とその後の開発の歴史が重なっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年東葛飾郡に船橋町・葛飾村・八栄村・塚田村・法典村、千葉郡に二宮村・豊富村が発足した。種類:町村制 出典:www.city.funabashi.lg.jp
- 1928年11月10日昭和3年二宮村が町制を施行し、二宮町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1931年6月1日昭和6年葛飾村が町制を施行し、葛飾町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1937年4月1日昭和12年船橋町・葛飾町・八栄村・法典村・塚田村が合併し、船橋市が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1953年8月1日昭和28年二宮町が船橋市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年4月1日昭和29年豊富村が船橋市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。