今の勝浦市
千葉県南東部の太平洋岸に位置し、港と砂浜、岬の海岸に房総丘陵の内陸部が続く市です。古くから漁業が行われ、勝浦漁港ではカツオやマグロ、イセエビなどが水揚げされます。勝浦城のあった八幡岬や遠見岬神社は、港町の歴史を伝える場所です。旧勝浦・興津・上野・総野の地域が合併して市域がまとまりました。市の木にはアジサイを定めています。
今の勝浦市の区域の人口は、2020年の国勢調査で16,927人です。今の区域で数えた1980年の25,462人とくらべると33.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.4%です。
主な産業:漁業、海辺の観光、米づくりなどの農業が営まれています。
特産品・名産
- 勝浦タンタンメンラー油を使う地域のラーメン。
- 勝浦産ひき縄カツオひき縄漁で一尾ずつ釣り上げるカツオ。
- 日本酒勝浦の米などを使って醸造する酒。
見どころ・祭り
- 勝浦朝市農水産物などが並ぶ昔ながらの朝市。
- かつうら海中公園海中の魚を観察できる展望施設。
- 鵜原理想郷太平洋沿いの岬を歩く景勝地。
木アジサイ勝浦市の木
勝浦市のなりたち
勝浦市(かつうらし)は、千葉県夷隅地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。豊浜村・総野村・上野村・淸海村・勝浦町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の勝浦市になりました。
今の名前「勝浦市」は、1920年にあった勝浦町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の勝浦町が約8km²だったのに対し、今の勝浦市は約94km²と、およそ12.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は夷隅郡に属していました。
「勝浦市」という名前
勝浦の名には、海を通じた他地域との関係や、港の地形に結び付ける説があります。紀伊勝浦や土佐の桂との関係、開拓の祖とされる勝占の忌部、良港を意味する「勝れた浦」にちなむ三つの説があります。地名の由来は、一つの説には定まっていません。古くは桂浦・葛浦・勝占などの表記も使われ、自治体名では勝浦村から勝浦町、勝浦市へ受け継がれています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、夷隅郡に勝浦村・豊浜村・清海村・上野村・総野村の五村が発足しました。翌1890年には勝浦村が町制を施行して勝浦町となりました。清海村は1921年1月1日に興津町となり、勝浦と興津の二つの町に、沿岸と内陸の三村が並ぶ形になりました。
1937年4月1日、豊浜村が勝浦町に編入されました。このとき豊浜村の区域は勝浦町へ編入され、勝浦町の行政区域が広がりました。港の周囲の区域が、戦前の段階でまとまった変更です。
1955年2月11日には勝浦町・興津町・上野村・総野村の四町村が合併し、新しい勝浦町が成立しました。太平洋岸の港町と、房総丘陵の内陸部を合わせた町です。1958年10月1日に町が市制を施行し、勝浦市となりました。四町村の合併と市の成立は、三年余り隔たった出来事です。
現在の市域には、勝浦と興津の港の歴史に加え、上野や総野の山あいの地域が含まれています。沿岸には朝市や漁港を中心とする地域があり、内陸には農業を営む集落が広がっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年夷隅郡に勝浦村・豊浜村・清海村・上野村・総野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年3月12日明治23年勝浦村が町制を施行し、勝浦町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1921年1月1日大正10年清海村が町制を施行し、興津町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1937年4月1日昭和12年豊浜村が勝浦町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年2月11日昭和30年勝浦町・興津町・上野村・総野村が合併し、新しい勝浦町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1958年10月1日昭和33年勝浦町が市制を施行し、勝浦市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。