今の千葉市
東京湾の海岸から房総の内陸へ広がる県庁所在地です。千葉駅周辺には行政や商業の機能が集まり、蘇我などの臨海部には工業地帯があります。幕張の埋立地では業務施設や住宅地が整備され、内陸の若葉区・緑区には農地や里山も残っています。かつて別々の町村だった検見川・幕張・生浜・泉・土気などが市域を構成し、海辺の都市景観と内陸の田園風景が同じ市の中に見られます。
今の千葉市の区域の人口は、2020年の国勢調査で974,951人です。今の区域で数えた1980年の746,430人とくらべると30.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は26.9%です。
主な産業:商業・サービス業や臨海部の工業が集まり、内陸では農業も営まれています。
特産品・名産
- いちご市内の観光農園で栽培される果実。
- ブルーベリー市内の農園で摘み取りも行われる果実。
- 落花生市内で栽培され、ゆでて食べることもある豆。
見どころ・祭り
- 加曽利貝塚縄文時代の貝塚を保存する国の特別史跡。
- 千葉市動物公園動物を飼育・展示する市立の公園。
- 千葉ポートタワー千葉港を見渡す展望施設。
木ケヤキ花オオガハス鳥コアジサシ千葉市の木・花・鳥
千葉市のなりたち
千葉市(ちばし)は、千葉県千葉・市原地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、14の町村がありました。生實浜野村・検見川町・都賀村・都村・蘇我町・千城村・犢橋村・幕張町・誉田村・椎名村・更科村・白井村・土気本郷町・千葉町です。これらの町村が、9回の合併や編入を経て、今の千葉市になりました。
今の名前「千葉市」は、1920年にあった千葉町の名前を受け継いでいます。ほかの13の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の千葉町が約21km²だったのに対し、今の千葉市は約271km²と、およそ13.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は千葉郡・山武郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧検見川町の区域には検見川浜駅(京葉線)があります。旧都賀村の区域には都賀駅(総武本線)があります。旧蘇我町の区域には蘇我駅(京葉線)があります。旧幕張町の区域には幕張豊砂駅(京葉線)があります。旧誉田村の区域には誉田駅(外房線)があります。
「千葉市」という名前
千葉は、千葉氏が名乗る以前からあった地名です。奈良時代の『万葉集』や墨書土器にも、この地名が残っています。由来は諸説ありますが、草木の豊かな土地を表すよい意味の文字として「千」と「葉」を当てたという説があります。1889年に旧千葉町と周辺の村が合併した際も、県庁所在地で千葉氏の旧跡を残す町の名を採り、千葉町としました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、旧千葉町・寒川村・登戸村・黒砂村・千葉寺村の区域を合わせ、千葉郡千葉町が発足しました。周囲には検見川村や幕張村、蘇我野村、都賀村などがあり、土気には山辺郡土気本郷町がありました。県庁所在地の千葉町は、1921年1月1日に市制を施行して千葉市となりました。
1937年に検見川町・蘇我町・都賀村・都村、1944年には千城村を編入しました。戦後は1954年に犢橋村と幕張町が加わりましたが、旧幕張町の一部などは同年8月に津田沼町へ移り、習志野市の一部となりました。市域は、町村を丸ごと加える編入と、一部の区域だけを移す編入を重ねて広がりました。
1955年には生浜町・椎名村・誉田村を編入しました。同年に更科村と白井村が合併して生まれた泉町は、1963年に千葉市へ入りました。1969年には土気町も編入し、現在につながる市域がまとまりました。臨海部では埋立による工場用地や住宅地の整備も進みました。
1992年4月1日、千葉市は政令指定都市となり、六つの区が置かれました。県庁や商店の集まる中心部に、海辺の検見川・幕張・蘇我、内陸の泉や土気などが加わった市です。区の設置は新しい市町村の合併ではなく、広くなった市の行政区域を分けたものです。
年表
- 1889年4月1日明治22年千葉郡に千葉町・蘇我野村・生実浜野村・椎名村・誉田村・白井村・更科村・千城村・都村・都賀村・検見川村・犢橋村・幕張村、山辺郡に土気本郷町が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年市原郡に市東村と湿津村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年5月23日明治23年蘇我野村が町制を施行するとともに改称し、蘇我町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1891年5月1日明治24年検見川村が町制を施行し、検見川町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1896年4月22日明治29年幕張村が町制を施行し、幕張町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年山辺郡と武射郡が統合され、土気本郷町は山武郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1921年1月1日大正10年千葉町が市制を施行し、千葉市となった。種類:市制施行 出典:www.city.chiba.jp
- 1925年1月1日大正14年生実浜野村が生浜村に改称された。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1928年11月10日昭和3年生浜村が町制を施行し、生浜町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1937年2月11日昭和12年検見川町・蘇我町・都賀村・都村が千葉市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1939年4月1日昭和14年土気本郷町が土気町に改称された。種類:改称 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1944年2月11日昭和19年千城村が千葉市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年7月1日昭和29年犢橋村が千葉市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年7月6日昭和29年幕張町が千葉市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年8月1日昭和29年千葉市の実籾・安生津・天戸・長作・馬加の一部が津田沼町に編入され、同日に習志野市が発足した。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年2月11日昭和30年生浜町・椎名村・誉田村が千葉市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年2月11日昭和30年市東村と湿津村が合併し、市津村となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年更科村と白井村が合併し、泉町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1959年2月1日昭和34年四街道町大日の一部が千葉市に編入された。種類:一部編入 出典:www.city.chiba.jp
- 1961年4月1日昭和36年市津村が町制を施行し、市津町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1963年4月10日昭和38年泉町が千葉市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1963年5月1日昭和38年市津町の板倉地区が土気町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1969年7月15日昭和44年土気町が千葉市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1992年4月1日平成4年千葉市が政令指定都市となり、中央区・花見川区・稲毛区・若葉区・緑区・美浜区が置かれた。種類:その他 出典:www.city.chiba.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.chiba.jp/900th/history.html
- www.city.chiba.jp/sogoseisaku/shichokoshitsu/kohokocho/prfnenpy.html
- www.pref.chiba.lg.jp/shichou/documents/r700sityouson1.pdf
- www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-s35/documents/1960002n.pdf
- ja.wikipedia.org/wiki/千葉郡
- ja.wikipedia.org/wiki/土気町
- adeac.jp/chiba-city/texthtml/d100030/mp300010-100030/ht000183
- ja.wikipedia.org/wiki/市原郡
- www.city.chiba.jp/shimin/shimin/kusei/documents/kuseigaiyoureiwa7.pdf