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富里市とみさとし

富里市は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている市です。

1町村から

今の富里市

千葉県北部の北総台地の中央に位置する市です。台地上に畑が広がり、すいかなどの野菜づくりが行われています。七栄や十倉には明治の牧の開墾の歴史があり、近代の農業・牧畜とも関わってきました。成田国際空港に近く、道路沿いや北側には住宅地が形成されています。十三の村や新田を基礎とする区域で、農業の景観と住宅地が共存しています。

今の富里市の区域の人口は、2020年の国勢調査で49,735人です。今の区域で数えた1980年の23,315人とくらべると113.3%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は28.5%です。

49,735人人口(2020年)
+113.3%1980年からの増減
53.88km²面積(国土地理院)
923人/km²人口密度
28.5%65歳以上の割合
51,3701980199020052020
15歳未満 10.9%15〜64歳 60.6%65歳以上 28.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:スイカや野菜の農業、畜産に加え、空港に関わる物流などが営まれています。

特産品・名産

  • スイカ初夏に出荷される地域の特産です。
  • にんじん市内の畑で栽培される特産野菜です。
  • 落花生市内で栽培・加工される特産品です。

見どころ・祭り

  • 旧岩崎家末廣別邸末廣農場を営んだ岩崎家の別邸です。
  • 香取神社スイカの御守りでも知られる神社です。
  • 末廣農場地元産品を扱う観光・交流施設です。

木ヤマザクラ花サルビア富里市の木・花

富里市のなりたち

富里市(とみさとし)は、千葉県印旛地域の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに富里村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい市です。

1920年の時点で、この区域の町村は印旛郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
54km²今の面積

「富里市」という名前

富里の名は、1889年にまとまった十三の村を表す「十三の里」と、豊かな郷土を願う「富む里」を重ねて付けられました。十を「と」、三を「み」、里を「さと」と読む名に、豊かさへの願いを合わせて命名されました。日吉倉や七栄、十倉など、もとになった村々の呼び名は現在にも残っています。町制、市制を経ても、十三の村にちなむ富里の名前を引き継いでいます。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制で、日吉倉・久能・大和・根木名・七栄・新橋・中沢・新中沢・立沢・立沢新田・高野・高松・十倉の十三の村や新田がまとまり、印旛郡富里村が成立しました。その前の1884年には、この十三か村をまとめる連合戸長役場が置かれており、明治の制度改革の中で自治体の基礎が整いました。

七栄と十倉は、明治初めの下総の牧の開墾に関わる地名です。市域には、江戸時代からの村の暮らしと、牧を開いて入植した地域の歴史が重なっています。明治には下総牧羊場が開かれ、近代の農業や牧畜とも関わってきました。

昭和にはすいかの産地として発展しました。道路の整備や成田国際空港の開港とともに住宅地も広がりましたが、昭和の大合併では周辺の市町村に加わらず、富里村として行政を続けました。1985年4月1日に町制を施行して富里町となり、2002年4月1日に市制を施行して富里市となりました。どちらの施行も、単独で行われました。

現在も北総台地には畑があり、成田に近い北側などに住宅地が広がっています。十三の村を基礎とする区域を引き継ぎながら、農村から町、そして市へと移った歩みが、富里市の成り立ちです。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年日吉倉村・久能村・大和村・根木名村・七栄村・新橋村・中沢村・新中沢村・立沢村・立沢新田・高野村・高松村・十倉村を合わせ、印旛郡富里村が発足した。種類:町村制 出典:www.city.tomisato.lg.jp
  2. 1985年4月1日昭和60年富里村が町制を施行して富里町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  3. 2002年4月1日平成14年富里町が市制を施行して富里市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

富里村→富里町→富里市1889〜今

参考にした資料