今の酒々井町
北総台地の内陸に位置し、台地と谷津が組み合わさる町です。戦国時代の千葉氏の本拠だった本佐倉城跡や、江戸時代の成田街道の宿場の街並みが残ります。京成線とJR成田線が通り、駅周辺には住宅地が広がっています。周囲の農地では米や野菜が栽培され、酒造りも続いています。東関東自動車道のインターチェンジ周辺には大型商業施設があり、町には住宅地、農村、歴史のある地区が共存しています。
今の酒々井町の区域の人口は、2020年の国勢調査で20,745人です。今の区域で数えた1980年の12,807人とくらべると62.0%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は33.5%です。
主な産業:米や野菜の農業、酒造と食品加工、商業や観光が営まれています。
特産品・名産
- 日本酒町内の酒蔵で醸造される酒です。
- 落花生町内で栽培・加工される特産品です。
- 自然薯粘りの強い山芋の特産品です。
見どころ・祭り
- 本佐倉城跡千葉氏の本拠だった国史跡の城跡です。
- 墨古沢遺跡旧石器時代の環状ブロック群が残ります。
- 酒々井プレミアム・アウトレット郊外に広がる商業施設です。
木ウメ花スイセン鳥メジロ酒々井町の木・花・鳥
酒々井町のなりたち
酒々井町(しすいまち)は、千葉県印旛地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに酒々井町として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は印旛郡に属していました。
「酒々井町」という名前
酒々井の名には「酒の井」の伝説があります。父のために酒を買う孝行息子が井戸を見つけ、その水が酒になったという話です。他の人には普通の水に見えたとも伝えられています。伝説には親孝行の物語が織り込まれていますが、地名の語源ははっきりしていません。1889年に発足した酒々井町は、古くからの呼び名を町名として引き継ぎました。
まちの成り立ち
戦国時代の酒々井には、千葉氏の本拠である本佐倉城がありました。15世紀後半に築かれ、1590年に千葉氏が滅びるまで約百年間、下総の政治や経済の中心となりました。周囲には町屋や寺院、港が置かれ、印旛沼につながる水運と各地への街道が交わっていました。現在の本佐倉城跡には土塁や空堀が残り、国の史跡に指定されています。
江戸時代には成田街道の酒々井宿として栄えました。千葉氏の城下町を宿場町へと再編し、成田山への参詣者などが行き交いました。幕府の牧を管理する野馬会所も置かれ、宿場と牧の管理を担う町でした。
1889年(明治22年)4月1日、酒々井町・本佐倉町・本佐倉村など十六町村がまとまり、印旛郡酒々井町が発足しました。昭和と平成の大合併を経ず、町名と自治体を引き継いでいます。1970年代以降は大規模な住宅開発が進み、農業を中心とした町から住宅都市へと変わりました。
平成の市町村合併では佐倉市との合併が検討されました。2005年の住民投票を受け、町は合併せず自立の道を選びました。現在も酒々井町として行政を続け、古い宿場の街並みと新しい住宅地、台地や谷津の農地が同じ町に広がっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年十六の町村を合わせ、印旛郡酒々井町が発足した。種類:町村制 出典:www.town.shisui.chiba.jp
- 2005年佐倉市との合併の是非を問う住民投票を行い、酒々井町は単独の行政運営を続けた。種類:その他 出典:www.town.shisui.chiba.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.town.shisui.chiba.jp/docs/2014021803876/
- www.town.shisui.chiba.jp/docs/2017121900018/
- www.town.shisui.chiba.jp/docs/2024072500013/file_contents/2024all_PDF.pdf
- www.pref.chiba.lg.jp/shichou/documents/r700sityouson2.pdf
- www.town.shisui.chiba.jp/docs/2014021803982/
- www.town.shisui.chiba.jp/docs/2017121800028/
- www.town.shisui.chiba.jp/static/chunk0001/road_and_guidepost/syukuba/syukuba.htm
- www.zck.or.jp/site/forum/1205.html