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印西市いんざいし

1920年には7の町村だった区域が、4回の合併・編入を経て、今の印西市になりました。

7町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の印西市

千葉県北部に位置し、北を利根川、南東を印旛沼、北西を手賀沼に囲まれる市です。下総台地と川や沼沿いの低地があり、台地には谷津が入り込んでいます。千葉ニュータウンを中心とする住宅地や商業地と、成田線沿いの古い市街地、周囲の農地が共存しています。印西・印旛・本埜の地域がまとまった市で、水辺と台地の違いが景観に表れています。

今の印西市の区域の人口は、2020年の国勢調査で102,609人です。今の区域で数えた1980年の29,970人とくらべると242.4%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.2%です。

102,609人人口(2020年)
+242.4%1980年からの増減
123.79km²面積(国土地理院)
829人/km²人口密度
23.2%65歳以上の割合
102,6091980199020052020
15歳未満 16.4%15〜64歳 60.4%65歳以上 23.2%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:ニュータウンの商業や物流施設と、利根川や印旛沼周辺の農業が広がっています。

特産品・名産

  • 米水田地帯で栽培される特産品です。
  • 雛人形県指定の伝統的工芸品です。
  • 和紙和染缶和紙などで装飾した工芸品です。

見どころ・祭り

  • 木下貝層古い海の貝化石が重なる地層です。
  • 吉高の大桜春に花を咲かせる大きな山桜です。
  • 松虫寺松虫姫の伝説が残る寺院です。

木サクラ花コスモス鳥メジロ印西市の木・花・鳥

印西市のなりたち

印西市(いんざいし)は、千葉県印旛地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。大森町・木下町・永治村・船穂村・六合村・宗像村・本埜村です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の印西市になりました。

今の名前「印西市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの7の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の六合村が約28km²だったのに対し、今の印西市は約123km²と、およそ4.5倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は印旛郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧木下町の区域には木下駅(成田線)があります。

71920年の町村の数
4回合併・編入の回数
124km²今の面積
2010年いちばん新しい合併

「印西市」という名前

印西という自治体名は、1954年に木下町・大森町・船穂村と永治村の大部分が合併して成立した印西町から、市制を経て受け継いだものです。2010年に印旛村と本埜村を編入した際も、印西の名を使い続けました。語源ははっきりしていません。古くからの地域名が、近代の町名と市名に引き継がれました。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制で、印旛郡に木下町・大杜村・船穂村・永治村・六合村・宗像村・本郷村・埜原村が発足しました。利根川沿いの木下は河岸のまちとして栄え、船穂などの台地や谷津には農村が広がっていました。1913年には大杜村が町となり大森町へ改称し、同年4月1日には本郷村と埜原村が合併して本埜村が成立しました。本埜は二つの旧村名から一字ずつ採った名前です。

1954年12月1日、木下町・大森町・船穂村と永治村の大部分が合併して印西町となりました。永治村は全域が印西町へ加わったのではなく、平塚・谷田・清戸・十余一は白井村へ移っています。村の分割を伴う合併でした。

1955年3月10日、六合村と宗像村は合併して印旛村となりました。本埜村、印旛村、印西町は、それぞれ別の自治体として行政を続けました。印西町では千葉ニュータウンの住宅地が広がり、1996年4月1日に市制を施行して印西市となっています。

2010年3月23日、印旛村と本埜村が印西市へ編入されました。昭和の合併でできた印西町の地域に、印旛沼周辺や利根川沿いの地域が加わった流れです。現在は千葉ニュータウンの市街地と、台地・谷津・水辺の農村が同じ市域にあり、旧町村の異なる歴史が重なっています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年印旛郡に木下町・大杜村・船穂村・永治村・六合村・宗像村・本郷村・埜原村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1913年3月23日大正2年大杜村が町制を施行して大森町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  3. 1913年4月1日大正2年本郷村と埜原村が合併して本埜村となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  4. 1954年12月1日昭和29年永治村が廃止され、平塚・谷田・清戸・十余一が白井村に編入され、残る区域が印西町の成立に加わった。種類:分割 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  5. 1954年12月1日昭和29年木下町・大森町・船穂村と永治村の一部が合併して印西町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  6. 1955年3月10日昭和30年六合村と宗像村が合併して印旛村となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  7. 1996年4月1日平成8年印西町が市制を施行して印西市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  8. 2010年3月23日平成22年印旛村と本埜村が印西市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

印西町→印西市1954〜今
本埜村1913〜2010
印旛村1955〜2010
六合村1889〜1955
宗像村1889〜1955
大森町1913〜1954
木下町1889〜1954同じ名前の駅:木下駅
永治村1913〜1954
船穂村1889〜1954

参考にした資料