今の八千代市
市の中央を新川が南北に流れ、北側には下総台地の自然や農地、南側には住宅地が広がっています。大和田・睦・阿蘇の旧町村を合わせた市で、八千代台や勝田台などの大きな住宅団地があります。京成線と東葉高速鉄道が都心への交通を支え、駅周辺には商店や生活施設が集まっています。新川沿いでは散策や釣りが親しまれ、住宅都市の景観と緑の多い川辺の景観が並んでいます。
今の八千代市の区域の人口は、2020年の国勢調査で199,498人です。今の区域で数えた1980年の134,479人とくらべると48.3%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は25.4%です。
主な産業:住宅地や商業・工業が広がり、北部では野菜や梨などの農業が続いています。
特産品・名産
- 梨市北部などで栽培される果実。
- にんじん市内で栽培する主要な野菜。
- ほうれん草北部の農業地帯などで栽培する葉物野菜。
見どころ・祭り
- 京成バラ園多くのバラを植えた庭園。
- やちよ農業交流センター農産物の販売や農業体験を行う施設です。
- 新川千本桜新川沿いに植えられた桜の並木。
木ツツジ花バラ八千代市の木・花
八千代市のなりたち
八千代市(やちよし)は、千葉県葛南地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。睦村・大和田町・阿蘇村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の八千代市になりました。
今の名前「八千代市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の阿蘇村が約20km²だったのに対し、今の八千代市は約51km²と、およそ2.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は千葉郡・印旛郡に属していました。
「八千代市」という名前
八千代は、1954年に大和田町と睦村が合併してできた町のために、公募で選ばれた名前です。従来の町村名をそのまま使うのではなく、新しい名前を採用しました。それまでこの地域には、大和田・睦・阿蘇という自治体がありました。1967年の市制施行でも八千代の名を引き継ぎ、旧町村を合わせた市域を表す名前となりました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、千葉郡に大和田村と睦村、印旛郡に阿蘇村が発足しました。大和田村は1891年に町制を施行して大和田町となりました。街道沿いの町と周辺の農村は別々の自治体で、1926年には京成の大和田駅が開業し、鉄道による交通も整っていきました。
1954年1月15日、大和田町と睦村が合併し、千葉郡八千代町が生まれました。同年4月には安生津地区が幕張町へ移り、その区域はのちに習志野市へ入りました。9月1日には阿蘇村を八千代町へ編入し、現在につながる市域がほぼまとまりました。千葉郡と印旛郡に分かれていた地域が、一つの町になった時期です。
1956年に京成八千代台駅が開業し、翌年には八千代台団地が完成しました。その後も勝田台・米本・高津・村上などの大きな住宅団地がつくられ、東京へ通う人の住む町として発展しました。1967年1月1日、八千代町は市制を施行して八千代市となりました。
今の八千代は、大和田・睦・阿蘇の三つの地域の歩みに、戦後の団地建設が重なった市です。中央を流れる新川の周囲には自然や農地があり、南側には鉄道沿線の市街地が広がっています。1996年の東葉高速鉄道開通後には、新しい駅の周辺でも開発が進みました。
年表
- 1889年4月1日明治22年千葉郡に大和田村・睦村、印旛郡に阿蘇村が発足した。種類:町村制 出典:www.city.yachiyo.lg.jp
- 1891年8月24日明治24年大和田村が町制を施行し、大和田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年1月15日昭和29年大和田町と睦村が合併し、千葉郡八千代町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年4月1日昭和29年八千代町の安生津地区が幕張町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年9月1日昭和29年阿蘇村が八千代町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1956年11月1日昭和31年八千代町の勝田・勝田台の一部が佐倉市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1967年1月1日昭和42年八千代町が市制を施行し、八千代市となった。種類:市制施行 出典:www.city.yachiyo.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。