今の市原市
千葉県の中央部にあり、臨海部の工業地域から南部の里山まで広がる市です。海沿いでは埋め立てとともに石油化学工業などの企業が進出し、内陸には水と緑のある風景が残ります。1963年に姉崎・市原・五井・市津・三和の五町が合併して成立し、1967年には南総町と加茂村を編入しました。明治の市原郡二十一町村の歩みを引き継ぎ、異なる性格を持つ地域を合わせています。
今の市原市の区域の人口は、2020年の国勢調査で269,524人です。今の区域で数えた1980年の216,394人とくらべると24.6%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.9%です。
主な産業:臨海部の石油化学などの工業と、内陸の農業・観光が営まれています。
特産品・名産
- いちはら梨市内で栽培される果実。
- 姉崎だいこん姉崎地区などで栽培される特産野菜。
- いちじく市内で栽培される特産の果実。
見どころ・祭り
- 市原湖畔美術館高滝湖のほとりにある美術館。
- 養老渓谷養老川の渓谷を歩ける景勝地。
- 市原ぞうの国ゾウなどの動物を飼育・展示する施設。
木イチョウ花コスモス鳥ウグイス市原市の木・花・鳥
市原市のなりたち
市原市(いちはらし)は、千葉県千葉・市原地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、21の町村がありました。高滝村・富山村・里見村・白鳥村・東海村・戸田村・明治村・内田村・鶴舞町・平三村・市東村・湿津村・千種村・市西村・養老村・八幡町・菊間村・海上村・市原村・五井町・姉崎町です。これらの町村が、10回の合併や編入を経て、今の市原市になりました。
今の名前「市原市」は、1920年にあった市原市の名前を受け継いでいます。ほかの20の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の市原村が約15km²だったのに対し、今の市原市は約365km²と、およそ24.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は市原郡に属していました。
「市原市」という名前
市原という呼び名は、近代の市ができる以前から、郡や村の名前として使われていました。1889年には市原郡の中に市原村が成立し、1955年には八幡町と菊間村の合併で別の自治体である市原町が生まれました。1963年の五町の合併でも、市原が市名に採用されています。語源ははっきりしていません。
まちの成り立ち
現在の市原市には、1889年(明治22年)の町村制で成立した市原郡の一町二十村の歩みが集まっています。海沿いから内陸まで広がる町村は、1954年から1956年の合併や分割で、姉崎町・市原町・五井町・市津村・三和町・南総町・加茂村の七町村にまとまりました。
五井町は東海村、さらに千種村との合併を経て広がりました。市津村は湿津村と市東村、三和町は市西村と養老村を合わせて成立し、三和町は後に海上村とも合併しました。南総町は牛久町・鶴舞町・戸田村・内田村・平三村、加茂村は高滝村・富山村・里見村・白鳥村を合わせた自治体です。
1955年、八幡町と菊間村の合併で市原町が成立しました。この町は、市原村とは別の自治体です。1956年7月1日に市原村は分割され、一部が市原町へ、残る一部が五井町へ編入されました。同じ呼び名を持つ町と村が並存した時期を経て、町村の区域が整理されています。
臨海部の埋め立てと工業化が進むなかで、より広い範囲を一つの自治体として運営する動きが進みました。1963年5月1日、姉崎町・市原町・五井町・市津町・三和町が合併して市原市が成立しました。1967年10月1日には南総町と加茂村を編入しています。五町の新設合併と、その四年後の編入という二つの段階を経て、臨海部の工業地域と南部の里山を持つ現在の市へつながりました。
年表
- 1889年4月1日明治22年市原郡に八幡町・五井村・千種村・鶴牧村・東海村・海上村・菊間村・湿津村・市東村・市原村・市西村・養老村・戸田村・明治村・内田村・鶴舞村・高滝村・富山村・平三村・里見村・白鳥村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年1月9日明治24年鶴舞村が町制を施行して鶴舞町となった。種類:町制施行 出典:prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net
- 1891年5月20日明治24年五井村が町制を施行して五井町となった。種類:町制施行 出典:prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net
- 1892年1月2日明治25年鶴牧村が町制を施行して姉崎町に改称した。種類:町制施行 出典:prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net
- 1924年7月15日大正13年明治村が町制を施行して牛久町に改称した。種類:町制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1952年6月1日昭和27年君津郡長浦村の代宿・久保田台の各一部が姉崎町に編入された。種類:一部編入 出典:prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net
- 1954年1月15日昭和29年高滝村・富山村・里見村・白鳥村が合併して加茂村となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年11月3日昭和29年五井町と東海村が合併して新しい五井町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年11月15日昭和29年牛久町・鶴舞町・戸田村・内田村・平三村が合併して南総町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年2月11日昭和30年湿津村と市東村が合併して市津村となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月20日昭和30年五井町と千種村が合併して新しい五井町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年八幡町と菊間村が合併して市原町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年市西村と養老村が合併して三和町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年五井町の柏原・白塚と青柳・今津朝山の各一部が姉崎町に編入された。種類:一部編入 出典:prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net
- 1956年3月25日昭和31年三和町と海上村が合併して新しい三和町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1956年7月1日昭和31年市原村が分割され、能満・市原・門前・郡本・藤井・山田橋・西野谷は市原町に、惣社・根田・加茂・西広は五井町に編入された。種類:分割 出典:prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net
- 1956年9月1日昭和31年三和町の今富・小折・柳原と西野・十五沢・宮原の各一部が五井町に編入された。種類:一部編入 出典:prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net
- 1956年11月25日昭和31年三和町の引田と神代の一部が五井町に編入された。種類:一部編入 出典:prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net
- 1957年4月15日昭和32年三和町の宮原・十五沢の各一部が五井町に、五井町神代の一部が三和町に編入された。種類:一部編入 出典:prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net
- 1961年4月1日昭和36年市津村が町制を施行して市津町となった。種類:町制施行 出典:prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net
- 1963年5月1日昭和38年姉崎町・市原町・五井町・市津町・三和町が合併して市原市となった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1963年5月1日昭和38年市津町板倉の区域が山武郡土気町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1967年10月1日昭和42年南総町と加茂村が市原市に編入された。種類:編入 出典:www.city.ichihara.chiba.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.ichihara.chiba.jp/ichiharagaku/pageindices/index42.html
- prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net/common-article/602377bbece4651c88c187a5/
- www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-s35/documents/1960002n.pdf
- ja.wikipedia.org/wiki/市原郡
- www.pref.chiba.lg.jp/shichou/documents/r700sityouson1.pdf