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習志野市ならしのし

1920年には3の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の習志野市になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の習志野市

東京湾に面し、津田沼駅周辺の商業地や住宅地、学校の集まる地域をもつ市です。津田沼の旧村域に旧幕張町などの一部が加わり、海岸の埋立によって袖ケ浦・香澄・秋津・茜浜・芝園などが生まれました。旧軍用地は戦後に学校や住宅、工場へ変わり、教育施設が集まる住宅都市として発展しました。谷津・鷺沼・藤崎・大久保・実籾など、合併や開発の前から続く地域名も使われています。

今の習志野市の区域の人口は、2020年の国勢調査で176,197人です。今の区域で数えた1980年の125,155人とくらべると40.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.3%です。

176,197人人口(2020年)
+40.8%1980年からの増減
20.97km²面積(国土地理院)
8,402人/km²人口密度
23.3%65歳以上の割合
176,1971980199020052020
15歳未満 12.8%15〜64歳 63.9%65歳以上 23.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:商業と臨海部の工業が集まり、にんじんなどの農業も続いています。

特産品・名産

  • 習志野市産にんじん「彩誉」春から初夏に出荷する特産のにんじん。
  • にんじんクッキー特産のにんじんを使った認定産品。
  • にんじんジュース特産のにんじんを加工した認定産品。

見どころ・祭り

  • 谷津干潟東京湾沿いに残るラムサール条約湿地。
  • 谷津バラ園さまざまなバラを栽培する市立の庭園。
  • 旧鴇田家住宅昔の農家の暮らしを伝える建物。

木アカシア花アジサイ習志野市の木・花

習志野市のなりたち

習志野市(ならしのし)は、千葉県葛南地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。大和田町・幕張町・津田沼町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の習志野市になりました。

今の名前「習志野市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

1920年の時点で、この区域の町村は千葉郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧津田沼町の区域には津田沼駅(総武本線)があります。

31920年の町村の数
2回合併・編入の回数
21km²今の面積
1954年いちばん新しい合併

「習志野市」という名前

習志野の名は、1873年に明治天皇が陸軍の演習を見た際、演習場を習志野原と名付けたことに由来します。篠原国幹の指揮を見習うようにという言葉から名前が生まれたという説もあります。1954年、それまでの津田沼町が市になる時にこの名を採りました。旧名の津田沼は谷津・久々田・鷺沼から一字ずつ取った名前で、市制後も地域名として残っています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制で、谷津・久々田・鷺沼・藤崎・大久保新田の五村を合わせ、千葉郡津田沼村が発足しました。1903年には町制を施行し、津田沼町となりました。隣には幕張村や大和田村があり、町の北側などには陸軍の施設が置かれるようになりました。

1954年、周辺の町村の合併や編入が続きました。大和田町と睦村は八千代町となり、八千代町の安生津地区は幕張町へ移りました。幕張町は7月に千葉市へ編入されましたが、8月1日には旧幕張町の一部が津田沼町に加わりました。同日に習志野町へ改称して市制を施行し、習志野市が誕生しました。

その後、天戸と長作の大部分は千葉市へ戻り、船橋市や千葉市との間でも一部区域の編入が行われました。市境は、市制施行のあとも区域の移動を重ねて定まりました。海辺では昭和40年代と50年代に埋立が進み、袖ケ浦、香澄、秋津、茜浜、芝園などの地域が生まれました。

戦後の旧軍用地には学校や住宅、工場がつくられ、津田沼駅周辺は商業地としても発展しました。現在の習志野市は、津田沼村から続く地域に旧幕張町などの一部と埋立地が加わった市です。古い村名を残す街と、戦後につくられた学校・住宅地が並び、土地の用途が変わった歩みを伝えています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年千葉郡に津田沼村・幕張村・大和田村・睦村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1891年8月24日明治24年大和田村が町制を施行し、大和田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1896年4月22日明治29年幕張村が町制を施行し、幕張町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1903年3月3日明治36年津田沼村が町制を施行し、津田沼町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1954年1月15日昭和29年大和田町と睦村が合併し、八千代町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  6. 1954年4月1日昭和29年八千代町の安生津地区が幕張町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  7. 1954年7月6日昭和29年幕張町が千葉市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  8. 1954年8月1日昭和29年千葉市の旧幕張町域などの一部が津田沼町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  9. 1954年8月1日昭和29年津田沼町が習志野町に改称された。種類:改称 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  10. 1954年8月1日昭和29年習志野町が市制を施行し、習志野市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  11. 1954年8月28日昭和29年習志野市の天戸地区と長作地区の大部分が千葉市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  12. 1955年9月30日昭和30年船橋市習志野町の一部が習志野市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  13. 1957年12月1日昭和32年千葉市幕張町二丁目と長作町の一部が習志野市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  14. 1965年9月1日昭和40年千葉市長作町の一部が習志野市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  15. 1967年3月1日昭和42年習志野市東習志野町の一部と千葉市幕張町二丁目の一部が両市の間で編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  16. 1969年3月1日昭和44年千葉市幕張町二丁目と長作町の一部が習志野市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  17. 1969年10月1日昭和44年習志野市東習志野町の一部が千葉市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  18. 1970年5月1日昭和45年千葉市幕張町二丁目の一部が習志野市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  19. 1971年5月1日昭和46年習志野市屋敷町の一部と千葉市幕張町二丁目・長作町の一部が両市の間で編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  20. 1981年5月1日昭和56年習志野市谷津七丁目の一部が船橋市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

習志野市1954〜今
津田沼町1903〜1954同じ名前の駅:津田沼駅
幕張町1896〜1954
大和田町1891〜1954

参考にした資料