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鎌ケ谷市かまがやし

鎌ケ谷市は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている市です。

1町村から

今の鎌ケ谷市

千葉県北西部の下総台地に位置する市です。台地を刻む谷津があり、周辺の沼や湾へ向かう川の源流となる地域を持っています。新鎌ケ谷には複数の鉄道路線が接続し、沿線に住宅地が広がっています。梨畑や緑地も残り、農業の景観と都市の暮らしが共存しています。明治に村々と新田をまとめた鎌ケ谷村を基礎に、合併を経ず町から市へと移りました。

今の鎌ケ谷市の区域の人口は、2020年の国勢調査で109,932人です。今の区域で数えた1980年の76,157人とくらべると44.3%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は29.2%です。

109,932人人口(2020年)
+44.3%1980年からの増減
21.08km²面積(国土地理院)
5,215人/km²人口密度
29.2%65歳以上の割合
109,9321980199020052020
15歳未満 11.7%15〜64歳 59.1%65歳以上 29.2%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:住宅地と商業が広がり、梨などの果樹栽培も続いています。

特産品・名産

  • 梨市を代表する特産の果実。
  • 梨ワイン特産の梨を原料とするふるさと産品。
  • 梨ワインケーキ梨ワインを生かした地域の焼き菓子。

見どころ・祭り

  • 鎌ケ谷大仏市の名とともに親しまれる仏像。
  • 鎌ケ谷市郷土資料館地域の歴史や民俗を紹介する資料館。
  • ファイターズ鎌ケ谷スタジアムプロ野球の二軍などが使用する球場。

木モクセイ花梨の花、キキョウ鎌ケ谷市の木・花

鎌ケ谷市のなりたち

鎌ケ谷市(かまがやし)は、千葉県東葛飾地域の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに鎌ケ谷村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい市です。

1920年の時点で、この区域の町村は東葛飾郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、東葛飾郡は2005年(平成17年)3月28日に廃止されました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
21km²今の面積

「鎌ケ谷市」という名前

鎌ケ谷の地名の由来は、一つには定まっていません。釜形の谷、水が湧く穴のある谷、蒲が生えた谷、えぐれた崖のある谷などに由来する説があります。室町時代の「蒲萱」という表記がこの地域を指す可能性もありますが、初めにどの範囲を指したかは不明です。古い村の名が1889年の新しい鎌ケ谷村へ引き継がれ、町制と市制を経ても同じ呼び名を使っています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制で、佐津間・粟野・初富・鎌ケ谷・道野辺・中沢と軽井沢新田、串崎新田の飛地を合わせ、東葛飾郡鎌ケ谷村が成立しました。昔の鎌ケ谷という村だけが市の前身なのではなく、複数の村や新田をまとめた自治体でした。役場は木下街道沿いに置かれました。

初富は、明治初めに下総の牧を開いた地域です。江戸時代からの農村と、新しく開かれた土地が、一つの村にまとまりました。市の地形は下総台地を基礎とし、台地を刻む谷津や川の源流を持っています。

1958年8月1日、鎌ケ谷村は町制を施行し、鎌ケ谷町となりました。1971年9月1日には市制を施行して鎌ケ谷市となっています。これらは隣の自治体との合併ではなく、同じ自治体が村から町、町から市へ移った出来事です。明治の町村制の発足後、昭和と平成の大合併を経ずに行政を続けています。

現在は新鎌ケ谷を中心に鉄道の接続する拠点があり、住宅地が広がっています。一方、梨畑や谷津の緑も残ります。初富・粟野・佐津間・道野辺・中沢といった旧村の呼び名は、現在も各地域の地名として残っています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年佐津間村・粟野村・初富村・鎌ケ谷村・道野辺村・中沢村・軽井沢新田と串崎新田の飛地を合わせ、東葛飾郡鎌ケ谷村が発足した。種類:町村制 出典:www.city.kamagaya.chiba.jp
  2. 1958年8月1日昭和33年鎌ケ谷村が町制を施行して鎌ケ谷町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
  3. 1971年9月1日昭和46年鎌ケ谷町が市制を施行して鎌ケ谷市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

鎌ケ谷村→鎌ケ谷町→鎌ケ谷市1889〜今

参考にした資料