今の新庄市
山形県北東部、山形市の北にあり、最上川中流の新庄盆地に位置する最上地方の中心都市です。東側には神室山を主峰とする神室連峰が横たわります。市街地付近を升形川が流れ、市の南西で最上川に合流します。国道13号と47号が交わり、奥羽本線と陸羽西線・陸羽東線が通る交通の要衝です。有数の豪雪地帯で、日照時間が短い市とされます。民話の伝承が盛んで、毎年みちのく民話まつりが開かれています。
今の新庄市の区域の人口は、2020年の国勢調査で34,432人です。今の区域で数えた1980年の42,911人とくらべると19.8%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.3%です。
主な産業:最上地方の商業の中心で、木材加工、家具、農業なども営まれてきました。
特産品・名産
- カド焼き雪解けに入荷するカドを焼く春の味
- 新庄そばそばまつりが毎年11月に開かれる
見どころ・祭り
- 新庄城趾(最上公園)戸沢氏の居城跡で桜の名所
- 新庄まつり1756年から続くとされる山車行列の祭り
- 新庄藩主戸沢家墓所瑞雲院と桂嶽寺にある国の史跡
- 旧矢作家住宅国指定重要文化財の民家
- 泉田の松並木国道13号沿いの参勤交代の松並木
木モミ花アジサイ新庄市の木・花
新庄市のなりたち
新庄市(しんじょうし)は、山形県最上地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。稲舟村・荻野村・八向村・新庄町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の新庄市になりました。
今の名前「新庄市」は、1920年にあった新庄町の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の新庄町が約149km²だったのに対し、今の新庄市は約231km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は最上郡に属していました。
「新庄市」という名前
新庄の名は、15世紀に新庄盆地の中ほどに土豪が築いた沼田城(新庄城)に由来するといわれます。「新庄」という言葉そのものの意味ははっきりしていません。江戸時代の初めに戸沢氏がこの地に新しく城を築き、まわりに城下町が開かれました。その城下町が新庄町となり、のちに新庄市となりました。
まちの成り立ち
新庄が最上地方の中心として育ったのは、江戸時代に新庄藩が置かれてからです。1622年(元和8年)に戸沢氏が常陸国から移り、1625年(寛永2年)に新庄に城を築きました。戸沢氏の藩政は250年あまり続き、表高6万8200石の城下町と羽州街道の宿場町としてにぎわいました。新庄まつりは、1756年(宝暦6年)に藩主が凶作の後の豊作を願って始めたものと伝えられます。戊辰戦争では新庄藩が新政府軍につき、庄内藩の攻撃で城下の大半が焼けました。
1889年(明治22年)の町村制で、最上郡に新庄町・稲舟村・八向村・萩野村が発足しました。明治の終わりから大正にかけて奥羽本線・陸羽西線・陸羽東線が通り、鉄道の町として発展しました。
1948年(昭和23年)12月1日に稲舟村を編入し、翌1949年(昭和24年)4月1日に市制を施行して新庄市となりました。その後、1955年(昭和30年)4月1日に萩野村を、1956年(昭和31年)9月30日に最上川沿いの八向村を編入し、今の市域ができました。八向村の本合海は、かつて最上川の舟運の港として栄えた集落です。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、最上郡に新庄町・稲舟村・八向村・萩野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1948年12月1日昭和23年最上郡稲舟村が新庄町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1949年4月1日昭和24年最上郡新庄町が市制を施行し、新庄市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1955年4月1日昭和30年最上郡萩野村が新庄市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1956年9月30日昭和31年最上郡八向村が新庄市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。