今の高畠町
山形県の南東部、置賜盆地の東の端にある町です。東には奥羽山脈がそびえて宮城県と接し、屋代川や和田川が西へ流れて最上川に合わさります。冬は雪が多い地域です。ぶどうやラ・フランスなどの果物と米づくりが盛んで、早くから有機農業に取り組んできた町として知られます。古い遺跡や寺社が多く、「まほろばの里」と呼ばれています。童話作家の浜田広介のふるさとです。
今の高畠町の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,463人です。今の区域で数えた1980年の27,440人とくらべると18.1%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.9%です。
主な産業:米や果樹などの農業と、ワインなどの食品製造や電子部品の工場があります。
特産品・名産
- ぶどうデラウェアなどのぶどうの産地
- ワイン高畠ワイナリーなどで造られる
- ラ・フランス三条目地区が発祥の地といわれる
見どころ・祭り
- 日向洞窟国の史跡に指定された洞窟遺跡
- 安久津八幡神社三重塔や舞楽殿が残る神社
- 亀岡文殊(大聖寺)亀岡文殊として親しまれる古い寺
- 浜田広介記念館高畠出身の童話作家の記念館
- 犬の宮・猫の宮犬と猫をまつる珍しい宮
木赤松花つつじ高畠町の木・花
高畠町のなりたち
高畠町(たかはたまち)は、山形県置賜地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。二井宿村・屋代村・亀岡村・和田村・糠野目村・高畑町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の高畠町になりました。
今の名前「高畠町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の高畑町が約119km²だったのに対し、今の高畠町は約185km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は東置賜郡に属していました。
「高畠町」という名前
町の名は、1889年(明治22年)に高畑村などが合わさってできた高畠村から受けつがれています。高畠村は1895年(明治28年)に町になるとき「高畑町」と名乗り、1905年(明治38年)に「高畠町」と改めました。1954年(昭和29年)の合併では、この地の古い呼び名「屋代郷」にちなんで社郷町(やしろごうまち)と名付けられましたが、翌年、高畠町の名にもどりました。「高畠」の言葉の由来ははっきりしていません。
まちの成り立ち
高畠の一帯は古くから開け、国の史跡の日向洞窟をはじめ、洞窟の遺跡が多く残ります。平安時代の延喜式には、置賜郡の中に「屋代」の名が見え、この地は長く屋代郷と呼ばれました。江戸時代には米沢藩の領地や幕府の領地となり、1767年(明和4年)からは織田氏が高畠に陣屋を置きましたが、1831年(天保2年)に天童へ移りました。
1889年(明治22年)の町村制で、今の町域に高畠村・二井宿村・屋代村・亀岡村・和田村・糠野目村の6村が発足しました。高畠村は1895年(明治28年)に町制を施行して高畑町となり、1905年(明治38年)に高畠町と改めました。
1954年(昭和29年)10月1日、高畠町・二井宿村・屋代村・亀岡村・和田村が合併して社郷町が発足しました。翌1955年(昭和30年)4月1日に糠野目村を編入し、同じ日に高畠町と改称しました。1957年(昭和32年)には糠野目の大橋と石岡の一部が赤湯町に移りました。
今の高畠町は、ぶどうやラ・フランスなどの果物と米づくり、有機農業の町として知られ、ワイナリーもあります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東置賜郡に高畠村・二井宿村・屋代村・亀岡村・和田村・糠野目村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1895年12月12日明治28年東置賜郡高畠村が町制を施行し、高畑町と改称した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1905年1月13日明治38年東置賜郡高畑町が改称し、高畠町となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年東置賜郡の高畠町・二井宿村・屋代村・亀岡村・和田村が合併し、社郷町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1955年4月1日昭和30年東置賜郡糠野目村が社郷町に編入され、同じ日に社郷町は高畠町と改称した。種類:編入 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1957年4月1日昭和32年高畠町の一部(大橋地区と石岡地区の一部)が赤湯町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。