今の山辺町
山形県の中央部、山形盆地の南西の端にある町です。北東の平地には役場や駅のある市街地があり、須川を境に山形市と接します。中部から南部は山地で、大小のため池や沼が点在し、南には白鷹山がそびえます。ニットなどの繊維産業が知られ、山形市のベッドタウンとしての顔もあります。山あいには日本の棚田百選に選ばれた大蕨の棚田や、ラベンダーの咲く玉虫沼農村公園があります。
今の山辺町の区域の人口は、2020年の国勢調査で13,725人です。今の区域で数えた1980年の14,281人とくらべると3.9%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.4%です。
主な産業:ニットなどの繊維産業と農業が営まれ、山形市の住宅地の役割もあります。
特産品・名産
- ニット町で受けつがれてきた繊維産業
- すだまり氷かき氷に酢醤油をかけて食べる町の味
見どころ・祭り
- 大蕨の棚田日本の棚田百選に選ばれた棚田
- 玉虫沼農村公園「かおりの広場」ラベンダー畑などがある公園
- 山辺温泉保養センター町の日帰り温泉施設
- 山辺町ふるさと資料館町の歴史や民俗を伝える資料館
- 白鷹山町の南にそびえる山
木キャラ木花リンドウ鳥オオタカ山辺町の木・花・鳥
山辺町のなりたち
山辺町(やまのべまち)は、山形県村山地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。中村・大寺村・相模村・作谷澤村・山辺町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の山辺町になりました。
今の名前「山辺町」は、1920年にあった山辺町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の山辺町が約5km²だったのに対し、今の山辺町は約63km²と、およそ13.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は東村山郡に属していました。
「山辺町」という名前
町の名は、1889年(明治22年)の町村制で山辺村と三河尻村が合わさってできた山辺村から受けつがれています。「山辺」という地名の意味や由来ははっきりしていません。山辺村は1896年(明治29年)に町となり、1954年(昭和29年)に周りの4つの村と合併したときも、山辺の名が残されました。
まちの成り立ち
山辺の平地は山形盆地の南西の端にあたり、西には白鷹山へ続く山地が広がります。戦国時代には山辺城がありました。1600年(慶長5年)の慶長出羽合戦では、上杉軍が攻め寄せて山辺城も戦いの場となりました。翌年には最上義光の子の山野辺義忠が城に入り、城下町を整えました。江戸時代には、山辺に他藩の陣屋が置かれた時期もありました。
1889年(明治22年)の町村制で、今の町域に山辺村・大寺村・中村・作谷沢村・相模村の5村が発足しました。山辺村は1896年(明治29年)に町制を施行して山辺町となりました。山辺ではじゅうたんやニットなどの繊維の仕事が盛んになりました。
1954年(昭和29年)10月1日、山辺町と大寺村・中村・作谷沢村・相模村が合併して、新しい山辺町が発足しました。1961年(昭和36年)には山形市の一部が山辺町に移りました。今の町は、山形市に隣り合う平地の住宅地と、ため池や沼が点在する山あいの集落からなり、山あいの大蕨の棚田は日本の棚田百選に選ばれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東村山郡に山辺村・大寺村・中村・作谷沢村・相模村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年7月27日明治29年東村山郡山辺村が町制を施行し、山辺町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年東村山郡の山辺町・大寺村・中村・作谷沢村・相模村が合併し、新しい山辺町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1961年8月1日昭和36年山形市の一部が山辺町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。