今の白鷹町
山形県の南部、置賜地方の北の端にある町です。町の中央を最上川が南から北へ流れ、東には白鷹山などの白鷹丘陵、西には朝日山地が連なります。南の長井市と続く盆地の田園で、米やりんご、トマトが作られ、酪農も営まれます。紅花の産地として「日本の紅(あか)をつくる町」を掲げています。樹齢500年をこえるエドヒガン桜の古木が多く、「古典桜の里」として知られます。
今の白鷹町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,890人です。今の区域で数えた1980年の18,821人とくらべると31.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.7%です。
主な産業:米づくりや果樹、酪農などの農業と、紅花の生産が盛んです。
特産品・名産
- 紅花「日本の紅をつくる町」の紅花
- 深山和紙鮎貝の深山地区に伝わる手すき和紙
- 米最上川沿いの田園でつくられる
- 白鷹紬町に伝わる絣の織物
見どころ・祭り
- 古典桜(エドヒガン桜の古木)樹齢500年以上の桜が町内に点在
- 白鷹ヤナ公園最上川に落ち鮎をとるヤナを常設
- 観音寺観音堂国の重要文化財の観音堂
- のどか村農業や自然にふれあえる施設
- 白鷹山町の東にそびえる山
木エドヒガン桜花こぶし鳥鷹白鷹町の木・花・鳥
白鷹町のなりたち
白鷹町(しらたかまち)は、山形県置賜地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。鮎貝村・東根村・荒砥町・蚕桑村・十王村・白鷹村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の白鷹町になりました。
今の名前「白鷹町」は、1920年にあった白鷹村の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の白鷹村が約9km²だったのに対し、今の白鷹町は約162km²と、およそ18.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は西置賜郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧鮎貝村の区域には鮎貝駅(山形鉄道 フラワー長井線)があります。旧荒砥町の区域には荒砥駅(山形鉄道 フラワー長井線)があります。旧蚕桑村の区域には蚕桑駅(山形鉄道 フラワー長井線)があります。
「白鷹町」という名前
町の名は、1889年(明治22年)にできた白鷹村から受けつがれています。白鷹村の名は、町の東にそびえる白鷹山にちなむと考えられますが、はっきりしたことは分かっていません。1954年(昭和29年)に荒砥町・白鷹村など6つの町村が合併したとき、新しい町の名として白鷹が選ばれました。町の章も、白い鷹が飛ぶ姿をかたどっています。
まちの成り立ち
白鷹町は、置賜地方の北の端、最上川の上流にある町です。江戸時代には米沢藩の領地でした。
1889年(明治22年)の町村制で、今の町域に荒砥村・白鷹村・鮎貝村・東根村・蚕桑村が発足しました。荒砥村は1890年(明治23年)に町制を施行して荒砥町となり、1892年(明治25年)には白鷹村から十王が分かれて十王村ができました。
1954年(昭和29年)10月1日、荒砥町・白鷹村・鮎貝村・東根村・蚕桑村・十王村の6町村が合併して、白鷹町が発足しました。翌1955年(昭和30年)10月10日には、西村山郡朝日町の針生が白鷹町に移りました。
1967年(昭和42年)の羽越水害では、最上川があふれて町内も水につかりました。今の白鷹町は、米づくりやりんご、酪農が営まれる農業の町で、紅花の産地として「日本の紅(あか)をつくる町」を掲げています。樹齢500年をこえるエドヒガン桜の古木が多く、春には多くの人が訪れます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西置賜郡に荒砥村・白鷹村・鮎貝村・東根村・蚕桑村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年12月3日明治23年西置賜郡荒砥村が町制を施行し、荒砥町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1892年6月21日明治25年西置賜郡白鷹村の一部(十王)が分かれて十王村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年西置賜郡の荒砥町・白鷹村・鮎貝村・東根村・蚕桑村・十王村が合併し、白鷹町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1955年10月10日昭和30年西村山郡朝日町の一部(針生)が白鷹町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。