今の長井市
山形県の南部、置賜地方の北部にある市です。西半分は朝日山地で、北西の端には大朝日岳があります。東の長井盆地に市街地が広がり、東から流れてくる最上川に置賜野川などが合わさります。江戸時代には最上川舟運の港町として栄えました。山形鉄道フラワー長井線が通り、春の桜や白つつじ、6月のあやめなど、花の名所が多い町です。
今の長井市の区域の人口は、2020年の国勢調査で26,543人です。今の区域で数えた1980年の33,286人とくらべると20.3%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.9%です。
主な産業:農業と農産物の加工、電子部品などの製造業、商業が営まれます。
特産品・名産
- 長井紬長井に伝わる絣の織物
- 味噌・醤油あら町の醸造蔵でつくられる
見どころ・祭り
- 長井あやめ公園6月のあやめまつりで知られる公園
- 伊佐沢の久保ザクラ伊佐沢にある桜の古木
- 白つつじ公園松ヶ池公園の白つつじ
- 長井ダム置賜野川の上流にあるダム
- 古代の丘資料館市内の遺跡の出土品を伝える資料館
長井市のなりたち
長井市(ながいし)は、山形県置賜地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。平野村・西根村・伊左沢村・長井町・豊田村・長井村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の長井市になりました。
今の名前「長井市」は、1920年にあった長井村の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の長井村が約16km²だったのに対し、今の長井市は約220km²と、およそ13.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は東置賜郡・西置賜郡に属していました。
「長井市」という名前
長井の名は、中世の荘園の名に由来します。戦国時代には、置賜地方の全体が長井荘と呼ばれ、そのうち今の米沢市のあたりを上長井、今の長井市のあたりを下長井と呼びました。米沢市の上長井という地名も、その名残です。「長井」という言葉そのものの意味ははっきりしていません。1889年(明治22年)には長井町と長井村ができ、1954年(昭和29年)の合併で市になったときも、その名が受けつがれました。
まちの成り立ち
長井は、最上川の舟運で栄えた町です。江戸時代には米沢藩の領地で、日本海側の酒田から最上川をさかのぼる舟運の、米沢藩の港の一つとなりました。舟で運ばれた品々が集まり、商人の町として発展しました。今も、あら町などに古い蔵や商家が残っています。
1889年(明治22年)の町村制で、今の市域に西置賜郡の長井町・長井村・西根村・平野村・豊田村と、東置賜郡の伊佐沢村ができました。伊佐沢村は1948年(昭和23年)に西置賜郡に移りました。
1954年(昭和29年)11月15日、長井町・長井村・西根村・平野村・伊佐沢村・豊田村の6町村が合併して市制を施行し、長井市が発足しました。1956年(昭和31年)には和郷村の一部が加わり、1971年(昭和46年)には一部が川西町に移りました。
今の長井市は、西に朝日山地を抱え、最上川と置賜野川の流れる盆地に市街地があります。春の桜と6月のあやめで知られ、伊佐沢の久保ザクラや長井あやめ公園に多くの人が訪れます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西置賜郡に長井町・長井村・西根村・平野村・豊田村が、東置賜郡に伊佐沢村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1948年4月1日昭和23年伊佐沢村の所属が東置賜郡から西置賜郡に変わった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1954年11月15日昭和29年西置賜郡の長井町・長井村・西根村・平野村・伊佐沢村・豊田村が合併し、市制を施行して長井市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1956年10月1日昭和31年東置賜郡和郷村の一部が長井市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1971年12月1日昭和46年長井市の一部が川西町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。