今の飯豊町
山形県の南西部、置賜盆地の西の端にある町です。南西には飯豊連峰がそびえ、北には朝日連峰の山々が続きます。北部の平地には、家々が田んぼの中に点在する田園散居集落が広がります。白川や小白川が流れ、白川ダムの白川湖があります。米づくりと米沢牛の肥育が盛んな農業の町で、どぶろくも造られています。「日本で最も美しい村」連合に加わっています。
今の飯豊町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,613人です。今の区域で数えた1980年の10,220人とくらべると35.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.7%です。
主な産業:米づくりと米沢牛の肥育などの農業、工業団地の製造業が営まれます。
特産品・名産
- 米沢牛町で多く肥育される黒毛和牛
- どぶろく町の特産品として造られる
- わらび中津川わらび園などで採れる
見どころ・祭り
- どんでん平ゆり園白川湖のほとりのゆりの園
- 白川湖の水没林雪どけの水で林が湖に沈む景色
- 田園散居集落田んぼの中に家々が点在する景色
- 飯豊連峰町の南西にそびえる山々
- 添川の水芭蕉春に咲く水芭蕉の群生
木もみじ花ユリ飯豊町の木・花
飯豊町のなりたち
飯豊町(いいでまち)は、山形県置賜地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。豊川村・豊原村・添川村・中津川村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の飯豊町になりました。
今の名前「飯豊町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の中津川村が約206km²だったのに対し、今の飯豊町は約337km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は南置賜郡・西置賜郡に属していました。
「飯豊町」という名前
町の名は、1954年(昭和29年)に豊原・添川・豊川の3つの村が合併したとき、町の南西にそびえる飯豊山にちなんで付けられました。町内を流れる白川は飯豊山のふもとから流れ出ています。「飯豊」という字には、ご飯が豊かに食べられるようにという願いもこめられたといわれます。1958年(昭和33年)に町になったときも、その名が受けつがれました。
まちの成り立ち
飯豊町は、置賜盆地の西の端から飯豊連峰にかけて広がる町です。北部の平地には、家々が田んぼの中に点在する田園散居集落の景色が今も残っています。
1889年(明治22年)の町村制で、今の町域に西置賜郡の豊原村・添川村・豊川村と、南置賜郡の中津川村が発足しました。中津川村は飯豊山のふもと、白川の上流の山あいの村でした。
1954年(昭和29年)10月1日、豊原村・添川村・豊川村が合併して飯豊村が発足しました。1958年(昭和33年)4月1日には南置賜郡の中津川村を編入し、同じ日に町制を施行して飯豊町となりました。中津川村が移ったことで、南置賜郡はなくなりました。
今の飯豊町は、米づくりと米沢牛の肥育が盛んな農業の町です。白川ダムの白川湖では、雪どけの季節に湖に沈む林の景色が見られます。町は「日本で最も美しい村」連合に加わっています。町内には飯豊山へ登る大日杉登山口があり、春から夏にかけては、添川の水芭蕉やどんでん平ゆり園にも多くの人が訪れます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西置賜郡に豊原村・添川村・豊川村、南置賜郡に中津川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年西置賜郡の豊原村・添川村・豊川村が合併し、飯豊村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1958年4月1日昭和33年南置賜郡中津川村が飯豊村に編入され、同じ日に飯豊村は町制を施行して飯豊町となった。種類:編入 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。