今の川西町
山形県の南部、置賜盆地のほぼ中央にある町です。東の平地には広い田んぼが広がり、西には玉庭丘陵と呼ばれる丘陵の林があります。犬川や黒川などの川が町を流れ、松川(最上川)に合わさります。県内でも有数の米どころで、米沢牛の産地でもあります。川西ダリヤ園には650種10万本のダリヤが咲きます。明治のはじめにイザベラ・バードが訪れ、その美しさを書き残した土地です。
今の川西町の区域の人口は、2020年の国勢調査で14,558人です。今の区域で数えた1980年の22,423人とくらべると35.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.1%です。
主な産業:米づくりと米沢牛の肥育などの農業、地酒づくりが盛んです。
特産品・名産
- 米庄内平野に次ぐ米どころの米
- 米沢牛町内で育てられる黒毛和牛
- 地酒良い米ときれいな水から造られる
見どころ・祭り
- 川西ダリヤ園650種10万本のダリヤが咲く
- 下小松古墳群国の史跡の古墳群
- 天神森古墳県指定史跡の古墳
- 遅筆堂文庫井上ひさしの蔵書を集めた図書館
木松花ダリヤ川西町の木・花
川西町のなりたち
川西町(かわにしまち)は、山形県置賜地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。大塚村・犬川村・中郡村・小松町・玉庭村・吉島村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の川西町になりました。
今の名前「川西町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の玉庭村が約95km²だったのに対し、今の川西町は約171km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は南置賜郡・東置賜郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧犬川村の区域には犬川駅(米坂線)があります。旧中郡村の区域には中郡駅(米坂線)があります。
「川西町」という名前
町の名は、1955年(昭和30年)に小松町など5つの町村が合併したときに付けられました。この地方では、鬼面川の西側を「川西」と呼んでいたことに由来するといわれます。町の章も「川」と「西」の字を組み合わせた形で、円満に結びつく町民の心を表しています。
まちの成り立ち
川西町のある置賜盆地は古くから開け、下小松古墳群をはじめ多くの古墳が残っています。江戸時代には米沢藩の領地で、小松は米沢から越後へ向かう十三峠の街道の宿駅でした。明治のはじめには、英国の旅行家イザベラ・バードが小松に泊まり、置賜の田園の美しさを書き残しました。
1889年(明治22年)の町村制で、今の町域に東置賜郡の小松村・大塚村・犬川村・中郡村・吉島村と、南置賜郡の玉庭村が発足しました。小松村は1890年(明治23年)に町制を施行して小松町となりました。
1955年(昭和30年)1月1日、小松町・大塚村・犬川村・中郡村と南置賜郡の玉庭村が合併して、東置賜郡川西町が発足しました。2月1日には吉島村を編入し、1971年(昭和46年)には長井市の一部が加わりました。
今の川西町は、県内でも有数の米どころで、米沢牛の産地でもあります。650種10万本のダリヤが咲く川西ダリヤ園があり、ダリヤは町の花にもなっています。作家の井上ひさしのふるさとで、町には彼の蔵書を集めた遅筆堂文庫があります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東置賜郡に小松村・大塚村・犬川村・中郡村・吉島村、南置賜郡に玉庭村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年10月22日明治23年東置賜郡小松村が町制を施行し、小松町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年東置賜郡の小松町・大塚村・犬川村・中郡村と南置賜郡の玉庭村が合併し、東置賜郡川西町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1955年2月1日昭和30年東置賜郡吉島村が川西町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1971年12月1日昭和46年長井市の一部が川西町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。