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村山市むらやまし

1920年には8の町村だった区域が、3回の合併・編入を経て、今の村山市になりました。

8町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の村山市

山形県の中央部、村山盆地の北部にある市です。東は奥羽山脈、西は出羽丘陵で、市の中央を最上川が北へ流れます。最上川の舟運の難所とされた碁点・三ヶ瀬・隼は、この市の中にあります。そばの産地で、そば店が並ぶ「そば街道」発祥の地とされます。東沢バラ公園は環境省の「かおり風景100選」に選ばれています。北方探検家の最上徳内にゆかりの町でもあります。

今の村山市の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,516人です。今の区域で数えた1980年の32,324人とくらべると30.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.6%です。

22,516人人口(2020年)
−30.3%1980年からの増減
203.3km²面積(概算)
111人/km²人口密度
39.6%65歳以上の割合
32,3241980199020052020
15歳未満 9.8%15〜64歳 50.7%65歳以上 39.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:米やそばなどの農業が中心で、そばやバラ公園を生かした観光もあります。

特産品・名産

  • そば「そば街道」発祥の地とされる村山のそば
  • 板そば細長い木の箱に盛る田舎そば

見どころ・祭り

  • 東沢バラ公園750品種2万株のバラ。かおり風景100選
  • 最上徳内記念館北方探検家・最上徳内の記念館
  • 最上川三難所碁点・三ヶ瀬・隼の舟運の難所
  • 碁点温泉最上川の碁点のほとりの温泉
  • 最上川美術館市内の美術館

木アカマツ花バラ村山市の木・花

村山市のなりたち

村山市(むらやまし)は、山形県村山地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。富本村・楯岡町・西郷村・大倉村・戸澤村・大久保村・袖崎村・大高根村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の村山市になりました。

今の名前「村山市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの8の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の富本村が約88km²だったのに対し、今の村山市は約203km²と、およそ2.3倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は北村山郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧楯岡町の区域には楯岡駅(奥羽本線)があります。旧袖崎村の区域には袖崎駅(奥羽本線)があります。

81920年の町村の数
3回合併・編入の回数
203km²今の面積
1955年いちばん新しい合併

「村山市」という名前

市の名は、1954年(昭和29年)に6つの町村が合併して市になったときに付けられました。市の説明によると、当時の経済の中心だった楯岡の名も候補になりましたが、ほかの村との話し合いを経て、この地方の総称である「村山」の名を生かし、村山地方の中心の都市になるようにという願いをこめて「村山」と名付けられました。村山は、古くは出羽国の郡の名でもありました。

まちの成り立ち

村山市の中心の楯岡は、古くから北村山地方の中心として栄えました。市の中を流れる最上川には、碁点・三ヶ瀬・隼という舟運の難所がありました。江戸時代の北方探検家、最上徳内はこの地にゆかりの深い人物で、市には記念館があります。

1889年(明治22年)の町村制で、今の市域に楯岡村・西郷村・大倉村・大久保村・富本村・戸沢村・袖崎村・大高根村ができました。楯岡村は1892年(明治25年)に町制を施行して楯岡町となりました。1901年(明治34年)には大高根村から横山・田沢が分かれて横山村となり、その区域はのちに大石田町に入りました。

1954年(昭和29年)11月1日、楯岡町・西郷村・大倉村・大久保村・富本村・戸沢村が合併して市制を施行し、村山市が発足しました。12月1日に袖崎村、翌1955年(昭和30年)1月1日に大高根村を編入して、今の市の形がほぼできあがりました。そのあと、五十沢の一部が尾花沢町に移り、大石田町から田沢の一部が加わるなど、隣の町との境が整えられました。

今の村山市はそばの産地で、「そば街道」発祥の地とされます。東沢バラ公園も知られています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北村山郡に楯岡村・西郷村・大倉村・大久保村・富本村・戸沢村・袖崎村・大高根村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1892年3月15日明治25年北村山郡楯岡村が町制を施行し、楯岡町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1901年5月1日明治34年北村山郡大高根村の一部(横山・田沢)が分かれて横山村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
  4. 1954年11月1日昭和29年北村山郡の楯岡町・西郷村・大倉村・大久保村・富本村・戸沢村が合併し、市制を施行して村山市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
  5. 1954年12月1日昭和29年北村山郡袖崎村が村山市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.yamagata.jp
  6. 1955年1月1日昭和30年北村山郡大高根村が村山市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.yamagata.jp
  7. 1955年4月1日昭和30年村山市の一部(五十沢のうち五十沢地区・横内地区)が尾花沢町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.yamagata.jp
  8. 1955年10月10日昭和30年大石田町の一部(田沢のうち新田地区・西山地区)が村山市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.yamagata.jp
  9. 1963年8月1日昭和38年村山市と河北町のあいだで境界が変更され、荒小屋地区が河北町に移った。種類:一部編入 出典:www.pref.yamagata.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

村山市1954〜今
大高根村1889〜1955
袖崎村1889〜1954同じ名前の駅:袖崎駅
富本村1889〜1954
楯岡町1892〜1954同じ名前の駅:楯岡駅
西郷村1889〜1954
大倉村1889〜1954
戸澤村→戸沢村1889〜1954
大久保村1889〜1954

参考にした資料