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酒田市さかたし

1920年には24の町村だった区域が、9回の合併・編入を経て、今の酒田市になりました。

24町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の酒田市

山形県北西部、庄内地方の北部にある港町です。北に鳥海山、東に出羽丘陵があり、南は庄内平野の中央に達し、西は日本海に面します。市街地は最上川の河口の右岸に集まっています。山形県で唯一の重要港湾である酒田港があり、江戸時代には北前船の寄港地として栄えました。沖合の飛島は県内唯一の有人島です。庄内砂丘ではメロンなどが作られ、平野では稲作が営まれています。

今の酒田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で100,273人です。今の区域で数えた1980年の125,622人とくらべると20.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.3%です。

100,273人人口(2020年)
−20.2%1980年からの増減
626.3km²面積(概算)
160人/km²人口密度
36.3%65歳以上の割合
125,6221980199020052020
15歳未満 10.4%15〜64歳 53.3%65歳以上 36.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:酒田港を軸にした港湾・商業と、庄内米をはじめとする農業・水産業です。

特産品・名産

  • 庄内米庄内平野で育つはえぬき・つや姫など
  • 庄内砂丘メロン砂丘地で栽培されるメロン
  • 酒田ラーメン自家製麺と極薄ワンタンが特徴

見どころ・祭り

  • 山居倉庫1893年建設の米穀倉庫群。国史跡
  • 旧鐙屋酒田三十六人衆の鐙屋惣左衛門の屋敷
  • 日和山公園木造六角灯台がある桜の名所
  • 庄内砂丘日本の白砂青松100選に選ばれた砂丘
  • 飛島酒田港の沖にある県内唯一の有人島

木ケヤキ花トビシマカンゾウ鳥イヌワシ酒田市の木・花・鳥

酒田市のなりたち

酒田市(さかたし)は、山形県庄内地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、24の町村がありました。鵜渡川原村・西平田村・飛島村・一條村・北俣村・田澤村・西荒瀬村・日向村・観音寺村・大澤村・南遊佐村・本楯村・上田村・東平田村・北平田村・袖裏村・中平田村・新堀村・広野村・内郷村・上郷村・松嶺町・南平田村・酒田町です。これらの町村が、9回の合併や編入を経て、今の酒田市になりました。

今の名前「酒田市」は、1920年にあった酒田町の名前を受け継いでいます。ほかの23の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

1920年の時点で、この区域の町村は東田川郡・西田川郡・飽海郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、西田川郡は2005年(平成17年)10月1日に廃止されました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧本楯村の区域には本楯駅(羽越本線)があります。

241920年の町村の数
9回合併・編入の回数
626km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「酒田市」という名前

酒田という地名の意味ははっきりしていません。中世には最上川の河口の南岸、今の宮野浦あたりが「袖の浦」とよばれる港でした。奥州藤原氏の家臣36人がこの地に移り住み、1521年ごろに対岸へ移って砂浜を開き、今の酒田の町をつくったと伝えられます。この人々の子孫がのちに「三十六人衆」として町を治めました。2005年の合併でも、新しい市は酒田市の名を受けつぎました。

まちの成り立ち

1672年に河村瑞賢が西廻り航路を開くと、酒田は北前船の寄港地として大いに栄え、「西の堺、東の酒田」といわれました。廻船問屋の鐙屋や、大地主の本間家などの豪商が活躍しました。

1889年(明治22年)の町村制で、飽海郡に酒田町のほか、松嶺町や平田・八幡・松山方面の村々が発足しました。酒田町は1929年(昭和4年)に鵜渡川原村を編入し、1933年(昭和8年)4月1日に市制を施行して酒田市となりました。

その後、酒田市はまわりの村を次々に編入しました。1941年(昭和16年)に西平田村、1950年(昭和25年)に飛島村、1954年(昭和29年)8月に西荒瀬村を編入しました。同じ年の12月1日には、南遊佐村・本楯村・上田村・東平田村・北平田村・中平田村と、東田川郡の新堀村・広野村、西田川郡の袖浦村がまとめて編入されました。

市の東側では、1954年に平田村と八幡町が、1955年(昭和30年)に松山町が、それぞれ合併で生まれました。平田村は1964年(昭和39年)に町制を施行して平田町となりました。

2005年(平成17年)11月1日、酒田市・八幡町・松山町・平田町の1市3町が合併し、新しい酒田市が発足しました。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、飽海郡に酒田町・松嶺町・上郷村・内郷村・田沢村・北俣村・南平田村・東平田村・北平田村・中平田村・西平田村・鵜渡川原村・上田村・本楯村・一条村・観音寺村・大沢村・日向村・西荒瀬村・南遊佐村・飛島村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東田川郡に新堀村・広野村が、西田川郡に袖浦村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1929年4月1日昭和4年飽海郡鵜渡川原村が酒田町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  4. 1933年4月1日昭和8年飽海郡酒田町が市制を施行し、酒田市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.yamagata.jp
  5. 1941年4月1日昭和16年飽海郡西平田村と、中平田村の一部(浜田)・西荒瀬村の一部(酒井新田・高砂)が酒田市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  6. 1950年4月1日昭和25年飽海郡飛島村が酒田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.yamagata.jp
  7. 1954年8月1日昭和29年飽海郡西荒瀬村が酒田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.yamagata.jp
  8. 1954年8月1日昭和29年飽海郡の田沢村・北俣村・南平田村が合併し、平田村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
  9. 1954年10月1日昭和29年飽海郡の一条村・観音寺村・大沢村・日向村が合併し、町制を施行して八幡町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
  10. 1954年12月1日昭和29年飽海郡の南遊佐村・本楯村・上田村・東平田村・北平田村・中平田村、東田川郡の新堀村・広野村、西田川郡の袖浦村が酒田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.yamagata.jp
  11. 1955年1月1日昭和30年飽海郡の松嶺町・上郷村・内郷村が合併し、松山町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
  12. 1964年8月1日昭和39年飽海郡平田村が町制を施行し、平田町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.yamagata.jp
  13. 2005年11月1日平成17年酒田市と飽海郡の八幡町・松山町・平田町が合併し、新しい酒田市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

酒田町→酒田市1889〜今
南平田村→平田村→平田町1889〜2005
北俣村1889〜1954
田澤村→田沢村1889〜1954
八幡町1954〜2005
日向村1889〜1954
観音寺村1889〜1954
一條村1889〜1950
大澤村→大沢村1889〜1954
一条村1889〜1954
松山町1955〜2005
内郷村1889〜1955
上郷村1889〜1955
松嶺町1889〜1955
南遊佐村1889〜1954
本楯村1889〜1954同じ名前の駅:本楯駅
上田村1889〜1954
東平田村1889〜1954
北平田村1889〜1954
袖裏村→袖浦村1889〜1954
中平田村1889〜1954
新堀村1889〜1954
広野村1889〜1954
西荒瀬村1889〜1954
飛島村1889〜1950
西平田村1889〜1941
鵜渡川原村1889〜1929

参考にした資料