今の戸沢村
山形県北東部、最上郡の村です。村の中央を最上川が西へ流れ、西側は出羽山地、東側は新庄盆地です。最上川に沿って国道47号と陸羽西線が走り、西は庄内町、東は新庄市と接します。最上川の水運の要所で、最上峡の険しい地形にさえぎられて道路の開削が遅れました。村内には今神温泉や草薙温泉があり、最上川舟下りも行われています。山の中には樹齢千年を超えるとされる杉の群生地があります。
今の戸沢村の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,199人です。今の区域で数えた1980年の7,601人とくらべると44.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.6%です。
主な産業:最上川舟下りや温泉などの観光と、米・そばなどの農業が中心です。
特産品・名産
- 米最上川沿いの田でとれる村産の米
- そば村の人気の特産物
- エゴマ村で育てられている特産物
- 山菜山あいでとれる春の恵み
見どころ・祭り
- 最上川舟下り最上峡を舟で下る船旅
- 白糸の滝最上峡にかかる、日本の滝百選の滝
- 仙人堂常陸坊海尊ゆかりと伝わるお堂
- 幻想の森山ノ内杉の巨木が群れ立つ森
- 今神温泉山あいにある湯治の温泉
木山ノ内杉花ヒメサユリ戸沢村の木・花
戸沢村のなりたち
戸沢村(とざわむら)は、山形県最上地方の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。古口村・角川村・戸沢村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の戸沢村になりました。
今の名前「戸沢村」は、1920年にあった戸沢村の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の戸沢村が約20km²だったのに対し、今の戸沢村は約271km²と、およそ13.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は最上郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧古口村の区域には古口駅(陸羽西線)があります。
「戸沢村」という名前
今の戸沢村の名は、1889年(明治22年)に岩清水村・名高村・津谷村・神田村・松坂村が合わさってできた(最初の)戸沢村の名を受けついだものです。1955年(昭和30年)に古口村・戸沢村・角川村が合併したときは古口村の名で発足し、ひと月後の5月1日に戸沢村と改めました。「戸沢」という名がつけられたいきさつははっきりしていません。
まちの成り立ち
戸沢村は、最上川とともに歩んできた村です。平安時代の『延喜式』には「佐藝駅」という駅の名が見え、津谷のあたりの最上川と鮭川が合わさる付近にあったと考えられています。
最上川は庄内と最上を結ぶ舟の道でしたが、最上峡の険しい地形にはばまれて、陸の道はなかなか開けませんでした。江戸時代には古口に新庄藩の船番所が置かれ、舟の行き来を見張りました。明治になって難しい工事の末に磐根街道(今の国道47号)が開かれ、大正時代に陸羽西線が通ると、舟運の時代は終わりました。
1889年(明治22年)の町村制で、最上郡に古口村と戸沢村が発足しました。1892年(明治25年)には古口村から角川が分かれて角川村ができました。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)4月1日に古口村・戸沢村・角川村が合併して新しい古口村が発足し、5月1日に戸沢村と名前を改めました。
村は、住民が助け合う相扶共済の取り組みが、日本の健康保険の仕組みのさきがけとされる地でもあります。今の村は、最上川舟下りや温泉などの観光が盛んです。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、最上郡に古口村・戸沢村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1892年7月8日明治25年最上郡古口村の一部(角川)が分かれて角川村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年最上郡の古口村・戸沢村・角川村が合併し、新しい古口村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1955年5月1日昭和30年最上郡古口村が改称し、戸沢村となった。種類:改称 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。