今の三川町
山形県の北西部、庄内平野のほぼ真ん中にある町です。赤川・藤島川・大山川が流れる平地で、町の面積の7割ほどを水田が占める穀倉地帯です。北に鳥海山、東に月山を望みます。庄内地方の中心にあたり、県の庄内総合支庁が置かれています。大型の商業施設が集まり、周りの市町からも買い物客が訪れます。春には菜の花畑が広がり、菜の花まつりが開かれます。
今の三川町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,601人です。今の区域で数えた1980年の8,479人とくらべると10.4%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.1%です。
主な産業:米づくりが中心で、大型の商業施設が集まる商業の町でもあります。
特産品・名産
- 米庄内平野の穀倉地帯でつくられる
- 菜の花町の花。春に菜の花まつりが開かれる
見どころ・祭り
- いろり火の里・菜の花畑春に菜の花畑が広がる交流施設
- アトク先生の館休憩もできる町の観光施設
- 道の駅庄内みかわ町内の道の駅
- 山形県防災学習館県が設けた防災を学ぶ施設
木ケヤキ花菜の花三川町の木・花
三川町のなりたち
三川町(みかわまち)は、山形県庄内地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。東郷村・押切村・横山村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の三川町になりました。
今の名前「三川町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の横山村が約14km²だったのに対し、今の三川町は約34km²と、およそ2.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は東田川郡・西田川郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、西田川郡は2005年(平成17年)10月1日に廃止されました。
「三川町」という名前
町の名は、1955年(昭和30年)に横山村・押切村・東郷村の3つの村が合併して三川村が生まれたときに付けられました。3つの村を流れる赤川・藤島川・大山川の三つの川にちなむとされます。三川村は1968年(昭和43年)に町制を施行し、三川町となりました。
まちの成り立ち
三川町は、庄内平野のほぼ真ん中にある町です。赤川・藤島川・大山川が流れる平らな土地で、古くから米づくりが営まれてきました。
1889年(明治22年)の町村制で、今の町域に東田川郡の横山村・押切村と、西田川郡の東郷村が発足しました。
1955年(昭和30年)1月1日、横山村・押切村・東郷村が合併して、東田川郡三川村が発足しました。翌年には東郷小学校や旧東郷村役場の支所が火事で焼けました。1960年代のはじめには、鶴岡市や大山町、酒田市とのあいだで境界の変更が行われました。1968年(昭和43年)6月1日に町制を施行して三川町となりました。
平成の大合併では鶴岡市などとの合併協議に加わりましたが、町の中で賛否が分かれ、最終的に合併はしないことになりました。今の三川町は、町の面積の7割ほどを水田が占める穀倉地帯です。庄内地方のほぼ中心にあるため、県の庄内総合支庁が置かれ、大型の商業施設も集まっています。春には菜の花まつりが開かれます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東田川郡に横山村・押切村、西田川郡に東郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年東田川郡の横山村・押切村と西田川郡の東郷村が合併し、東田川郡三川村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1968年6月1日昭和43年東田川郡三川村が町制を施行し、三川町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。