今の大江町
山形県の中央部、山形盆地の西の端から朝日連峰の小朝日岳まで、東西に細長く広がる町です。面積の約8割が森林で、町の中央を月布川が東へ流れ、東の端の左沢で最上川に合わさります。左沢は最上川舟運で栄えた町で、その町並みは国の重要文化的景観に選ばれています。東部ではりんごやラ・フランス、すもも、ぶどうなどの果物が作られます。
今の大江町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,646人です。今の区域で数えた1980年の11,374人とくらべると32.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.7%です。
主な産業:果樹と米づくりの農業と、ニットやベントナイト、食品加工などの工業です。
特産品・名産
- 果物(りんご・ラ・フランス・すもも)寒暖差の大きい土地で作られる果物
- ベントナイト町で産出・加工される粘土
- 西山杉七軒地区を中心に産出する杉
見どころ・祭り
- 左沢の町並み国の重要文化的景観
- 左沢楯山城跡大江氏一族の山城の跡。国の史跡
- 松保の大杉樹齢約1100年の県内一の杉の巨樹
- 大山自然公園アジサイロードの先にある公園
- 神代カヤ東北で最も古いといわれるカヤの木
木スギ花あじさい鳥ヤマセミ大江町の木・花・鳥
大江町のなりたち
大江町(おおえまち)は、山形県村山地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。本郷村・七軒村・左澤町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の大江町になりました。
今の名前「大江町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の七軒村が約98km²だったのに対し、今の大江町は約158km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は西村山郡に属していました。
「大江町」という名前
町の名は、1959年(昭和34年)に左沢町と漆川村が合併したとき、当時の山形県知事の安孫子藤吉が名付けました。町の説明では「百川衆沢尽く一大江に帰する」という言葉に由来し、置賜から流れてきた最上川が多くの川や沢の水を集め、この地で大きく曲がって、初めて「大江」(大きな川)の姿になることを表しています。
まちの成り立ち
大江町の中心の左沢は、最上川と月布川が合わさる所にあります。南北朝時代には大江氏の一族がこの地に入り、左沢楯山城を拠点としました。江戸時代のはじめには左沢藩が置かれたこともあり、のちには松山藩(庄内藩の支藩)の左沢領となりました。元禄のころから大正のはじめにかけて、左沢は最上川舟運の中継地として栄えました。
1889年(明治22年)の町村制で、今の町域に左沢村・本郷村・七軒村が発足しました。左沢村は1896年(明治29年)に町制を施行して左沢町となりました。
1954年(昭和29年)10月1日、本郷村と七軒村が合併して漆川村が発足しました。その後、県は左沢町と漆川村の合併を進め、1959年(昭和34年)8月20日、左沢町と漆川村が合併して大江町が発足しました。
今の大江町は面積の約8割が森林で、東部の田園ではりんごやラ・フランス、すもも、ぶどうなどの果物が作られます。左沢の町並みは、舟運で栄えた歴史とともに、2013年(平成25年)に国の重要文化的景観に選ばれました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西村山郡に左沢村・本郷村・七軒村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年8月17日明治29年西村山郡左沢村が町制を施行し、左沢町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年西村山郡の本郷村と七軒村が合併し、漆川村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1959年8月20日昭和34年西村山郡の左沢町と漆川村が合併し、大江町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。