今の中山町
山形県のほぼ中央、山形盆地の西部にある町で、県内の市町村でいちばん面積が小さい町です。北を最上川が流れ、東は須川を境に山形市や天童市と接し、西にはなだらかな丘陵が広がります。東北でも有数のすももの産地で、すももを使ったワインなども作られます。芋煮会の発祥の地とされ、毎年秋に「元祖芋煮会in中山」が開かれます。
今の中山町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,746人です。今の区域で数えた1980年の11,624人とくらべると7.6%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.7%です。
主な産業:すももなどの果樹栽培を中心とした農業と、工業団地の製造業があります。
特産品・名産
- すもも東北有数の産地。ワインなどにも加工
- 芋煮芋煮会発祥の地とされる町の味
見どころ・祭り
- 旧柏倉家住宅大庄屋の屋敷。国の重要文化財
- お達磨の桜樹齢約750年といわれる2本のエドヒガン
- 鍋掛松芋煮会発祥の地とされる松
- ひまわり温泉ゆ・ら・ら町の日帰り温泉施設
木イチョウ花ひまわり中山町の木・花
中山町のなりたち
中山町(なかやままち)は、山形県村山地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。豊田村・長崎町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の中山町になりました。
今の名前「中山町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の豊田村が約21km²だったのに対し、今の中山町は約32km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は東村山郡に属していました。
「中山町」という名前
町の名は、1954年(昭和29年)に長崎町と豊田村が合併したとき、この地を治めた領主の家名「中山」にちなんで付けられました。1384年(至徳元年)に中山継信が長崎楯を築いたと伝えられ、中山氏は長崎の地を拠点としました。合併前の長崎町は、1889年(明治22年)にできた最上村が1897年(明治30年)に町になるとき名を改めたものです。
まちの成り立ち
中山町は、山形盆地の西部、最上川と須川にはさまれた平らな町です。中世には中山氏が長崎楯を築いてこの地を治めました。江戸時代には最上川の舟運で栄えました。中山町は芋煮会の発祥の地とされ、その場所とされる鍋掛松が残っています。
1889年(明治22年)の町村制で、長崎村・達磨寺村・向新田が合わさって最上村が、岡村・小塩村・土橋村・柳沢村・金沢村が合わさって豊田村が発足しました。最上村は1897年(明治30年)に町制を施行し、長崎町と改めました。
1954年(昭和29年)10月1日、長崎町と豊田村が合併して中山町が発足しました。翌1955年(昭和30年)には山形市の一部が中山町に加わりました。
今の中山町は県内の市町村でいちばん面積が小さい町で、東北でも有数のすももの産地です。江戸時代に大庄屋を務めた柏倉家の屋敷は、国の重要文化財に指定されています。町の西部には工業団地があり、企業の誘致が進められています。毎年秋には「元祖芋煮会in中山」が、海の日には全国かぶと虫相撲大会が開かれます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、東村山郡に最上村(長崎村・達磨寺村・向新田)と豊田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年8月26日明治30年東村山郡最上村が町制を施行し、長崎町と改称した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年東村山郡の長崎町と豊田村が合併し、中山町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamagata.jp
- 1955年4月1日昭和30年山形市の一部が中山町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.yamagata.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。