今の川島町
埼玉県中央部の比企郡に属し、荒川・入間川・越辺川などに囲まれる平野の町です。水田を中心とする農地が広がり、河川改修や堤防づくりが地域の歴史に関わってきました。中山・伊草・三保谷・出丸・八ツ保・小見野の六村を合わせて成立しています。圏央道のインターチェンジ周辺では開発が進み、田園の景観と広域交通の拠点をあわせ持っています。
今の川島町の区域の人口は、2020年の国勢調査で19,378人です。今の区域で数えた1980年の17,393人とくらべると11.4%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は36.1%です。
主な産業:米やいちじく、いちごなどの農業と、郷土料理を生かした観光が営まれています。
特産品・名産
- いちじく町の特産として栽培される果実。
- いちご町内の農園で栽培される果実。
- すったてごまや野菜を使う冷たい汁の郷土料理。
見どころ・祭り
- 平成の森公園バラやしょうぶを楽しめる公園。
- 遠山記念館歴史ある邸宅と美術品を公開する施設。
- 白鳥飛来地冬に越辺川で白鳥を観察できる場所。
木モクセイ花ハナショウブ鳥ヒバリ川島町の木・花・鳥
川島町のなりたち
川島町(かわじままち)は、埼玉県川越比企地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。小見野村・中山村・八ツ保村・三保谷村・伊草村・出丸村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の川島町になりました。
今の名前「川島町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の小見野村が約8km²だったのに対し、今の川島町は約42km²と、およそ4.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は比企郡に属していました。
「川島町」という名前
川島の自治体名は、1954年に中山・伊草・三保谷・出丸・八ツ保・小見野の六村が合併した時に採用されました。これらの地域は、川島領と呼ばれていました。また、町は荒川や入間川などに囲まれ、川に囲まれた島のような地形を持ちます。1972年に町となった後も、川島村の名前を受け継ぎました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、比企郡に中山村・伊草村・三保谷村・出丸村・八ツ保村・小見野村が発足しました。現在の川島町につながる六つの自治体です。この地域は、川島領と呼ばれていました。1954年11月3日、六村が新設合併し、川島村が生まれました。
町の周囲には荒川・入間川・越辺川があり、北側には都幾川と市野川が流れます。河川に囲まれた平野で、農業が地域の暮らしを支えてきました。江戸時代には川越藩のもとで農業生産が高まった一方、荒川の流路が変わった後には水害にも悩まされました。河川改修や堤防づくりは、この地域の歩みと関わっています。
六村の合併後は、中学校の統合や上水道の敷設が進められました。1972年11月3日、川島村は町制を施行して川島町となりました。他の自治体を加える合併とは異なり、六村を合わせて成立した村が町へ移った出来事です。
近年は圏央道の川島インターチェンジ周辺で開発が進んでいます。河川と農地を持つ地域に広域交通の拠点が加わり、土地の使い方も変わってきました。明治の六村を基礎とする田園の町は、川島という地域の名前を引き継いでいます。
年表
- 1889年4月1日明治22年比企郡に中山村・伊草村・三保谷村・出丸村・八ツ保村・小見野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年11月3日昭和29年中山村・伊草村・三保谷村・出丸村・八ツ保村・小見野村が合併し、川島村が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.saitama.lg.jp
- 1972年11月3日昭和47年川島村が町制を施行し、川島町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.saitama.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。