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深谷市ふかやし

1920年には14の町村だった区域が、8回の合併・編入を経て、今の深谷市になりました。

14町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の深谷市

埼玉県北西部に位置し、北側で利根川を挟んで群馬県と向き合うまちです。北部には利根川水系の低地が広がり、南部には荒川がつくった台地があります。高崎線と秩父鉄道が通り、花園インターチェンジを通じて広域の道路交通とも結ばれています。中山道の宿場を受け継ぐ中心部と、岡部、川本、花園の地域からなります。川沿いの平地と台地に、市街地や農地が広がっています。

今の深谷市の区域の人口は、2020年の国勢調査で141,268人です。今の区域で数えた1980年の120,931人とくらべると16.8%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.4%です。

141,268人人口(2020年)
+16.8%1980年からの増減
138.37km²面積(国土地理院)
1,021人/km²人口密度
29.4%65歳以上の割合
146,5621980199020052020
15歳未満 12.1%15〜64歳 58.5%65歳以上 29.4%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:深谷ねぎなどの野菜とユリ・チューリップの花き栽培が盛んです。

特産品・名産

  • 深谷ねぎ深谷を代表する特産の野菜
  • 煮ぼうとう幅広の麺を地元の野菜と煮込む郷土料理
  • ユリ全国でも有数の生産を誇る切り花

見どころ・祭り

  • 渋沢栄一記念館渋沢栄一ゆかりの資料や写真を展示
  • 旧渋沢邸「中の家」渋沢栄一生誕地に残る明治の住宅
  • 深谷駅煉瓦のまち深谷を象徴する駅

花チューリップ深谷市の花

深谷市のなりたち

深谷市(ふかやし)は、埼玉県北部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、14の町村がありました。八基村・新会村・榛沢村・本郷村・中瀬村・明戸村・大寄村・幡羅村・藤沢村・武川村・本畠村・岡部村・花園村・深谷町です。これらの町村が、8回の合併や編入を経て、今の深谷市になりました。

今の名前「深谷市」は、1920年にあった深谷町の名前を受け継いでいます。ほかの13の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の深谷町が約5km²だったのに対し、今の深谷市は約139km²と、およそ30.2倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は大里郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧岡部村の区域には岡部駅(高崎線)があります。

141920年の町村の数
8回合併・編入の回数
138km²今の面積
2010年いちばん新しい合併

「深谷市」という名前

市名は、合併前の深谷町と旧深谷市から引き継いだものです。中心部は中山道の深谷宿として発展し、1889年の町村制でも深谷町となりました。近世の宿場町と周囲の農村がまとまり、深谷町から深谷市へと同じ地名を受け継いでいます。2006年に1市3町が新しく合併した際も、深谷市の名が採用されています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制施行で、中山道の宿場を中心に深谷町が発足しました。現在の市域には榛沢郡、幡羅郡、男衾郡に属する村々があり、1896年の郡の再編で大里郡にまとまりました。手計村は1890年に八基村へ改称しています。

昭和の大合併では、1954年11月に八基村と新会村が豊里村をつくり、翌1955年1月に中瀬村と合併しました。同じ1月1日には深谷町、明戸村、幡羅村、大寄村、藤沢村が合併して旧深谷市が発足しました。岡部村、榛沢村、本郷村も新たな岡部村となり、2月には武川村と本畠村が川本村をつくりました。花園村はこの時期の合併に加わらず、単独で存続しました。

豊里村は1973年に深谷市へ編入されました。岡部、川本、花園の3村はそれぞれ町となり、2006年1月1日に旧深谷市とともに新設合併して、現在の深谷市が誕生しました。さらに2010年3月1日には利根川を挟む群馬県太田市との県境が変更され、前小屋町などの一部が深谷市へ、高島の一部が太田市へ移りました。現在の市域は、町村の合併だけでなく、川の流路と生活圏に合わせた区域の調整も経て形づくられています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、榛沢郡に深谷町・大寄村・新会村・中瀬村・手計村・岡部村・榛沢村・本郷村・藤沢村・武川村・花園村、幡羅郡に明戸村・幡羅村、男衾郡に本畠村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1890年3月28日明治23年手計村が八基村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
  3. 1896年4月1日明治29年榛沢郡・幡羅郡・男衾郡と旧大里郡の再編により、深谷町と周辺13村が新しい大里郡の所属となった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1954年11月3日昭和29年八基村と新会村が合併し、豊里村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1955年1月1日昭和30年豊里村と中瀬村が合併し、新たな豊里村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  6. 1955年1月1日昭和30年深谷町・明戸村・幡羅村・大寄村・藤沢村が合併し、深谷市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  7. 1955年1月1日昭和30年岡部村・榛沢村・本郷村が合併し、新たな岡部村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  8. 1955年2月11日昭和30年武川村と本畠村が合併し、川本村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  9. 1955年10月1日昭和30年岡部村の伊勢方と宿根の区域が深谷市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  10. 1968年12月1日昭和43年岡部村が町制を施行し、岡部町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  11. 1973年4月1日昭和48年豊里村が深谷市に編入された。種類:編入 出典:www.e-stat.go.jp
  12. 1977年2月11日昭和52年川本村が町制を施行し、川本町となった。種類:町制施行 出典:www.e-stat.go.jp
  13. 1983年6月1日昭和58年花園村が町制を施行し、花園町となった。種類:町制施行 出典:www.e-stat.go.jp
  14. 2006年1月1日平成18年深谷市・岡部町・川本町・花園町が合併し、新たな深谷市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.saitama.lg.jp
  15. 2010年3月1日平成22年群馬県太田市の前小屋町・二ツ小屋町の各一部が深谷市へ、深谷市の高島の一部が太田市へ編入された。種類:県境を越えた編入 出典:www.pref.saitama.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

深谷町→深谷市1889〜今
岡部村→岡部町1889〜2006同じ名前の駅:岡部駅
榛沢村1889〜1955
本郷村1889〜1955
花園村→花園町1889〜2006
川本村→川本町1955〜2006
武川村1889〜1955
本畠村1889〜1955
豊里村1954〜1973
中瀬村1889〜1955
八基村1890〜1954
新会村1889〜1954
明戸村1889〜1955
大寄村1889〜1955
幡羅村1889〜1955
藤沢村1889〜1955

参考にした資料