今の嵐山町
埼玉県中央部の比企丘陵に位置し、山地と渓谷、平地などが組み合わさる町です。槻川の清流と岩畳が見られる武蔵嵐山渓谷は町名の発祥地で、周囲の樹林地は保全されています。菅谷館跡など中世の史跡も残り、丘陵の自然と歴史を持つ地域です。菅谷村と七郷村の合併後に町名を嵐山へ変え、木にウメ、花にツツジを定めています。
今の嵐山町の区域の人口は、2020年の国勢調査で17,889人です。今の区域で数えた1980年の16,080人とくらべると11.2%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は33.0%です。
主な産業:農業や食品加工と、渓谷・城跡を生かした観光が営まれています。
特産品・名産
- おおむらさき町の地酒として作られる清酒
- 芋ようかん紅東と紫芋の二種類がある菓子
- 嵐山辛モツ焼そば豚モツを入れたご当地焼そば
見どころ・祭り
- 嵐山渓谷槻川と岩畳がつくる渓谷
- 菅谷館跡畠山重忠ゆかりの国指定史跡
- 杉山城跡戦国時代の山城跡で国指定史跡
木ウメ花ツツジ嵐山町の木・花
嵐山町のなりたち
嵐山町(らんざんまち)は、埼玉県川越比企地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。七郷村・菅谷村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の嵐山町になりました。
今の名前「嵐山町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の菅谷村が約16km²だったのに対し、今の嵐山町は約30km²と、およそ1.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は比企郡に属していました。
「嵐山町」という名前
嵐山の町名は、槻川の渓谷に付けられた武蔵嵐山に由来します。1928年に訪れた林学者の本多静六が、京都の嵐山に似た景色を見て名付けました。1967年に菅谷村が町となる際、この名を町名として採用しました。京都の「あらしやま」とは読み方が異なり、埼玉県の町名は「らんざん」です。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、比企郡に菅谷村と七郷村が発足しました。この二村が、現在の嵐山町につながる明治の自治体です。1955年4月15日、菅谷村と七郷村が新設合併し、新しい菅谷村となりました。合併時点では嵐山の名はまだ自治体名ではなく、菅谷村の名前で行政が続きました。
一方、槻川沿いの渓谷には、1928年に林学者の本多静六が武蔵嵐山という名を付けました。赤松林と渓谷の景観が、京都の嵐山に似ていたことによる命名でした。1936年には東武東上線の菅谷駅も武蔵嵐山駅となり、渓谷を訪れる人々の交通の拠点になりました。
1967年4月15日、菅谷村は嵐山へ改称し、町制を施行して嵐山町となりました。1955年の二村の合併と、1967年の町名の変更・町制は、別の出来事です。
町は比企丘陵の中にあり、山地や渓谷と平地が組み合わさっています。菅谷館跡などの史跡とともに、町名の発祥地である渓谷の樹林地も保存されています。旧村名の菅谷から渓谷の名に由来する嵐山へと町名を変え、丘陵の自然と地域の歴史を持つ町として歩んできました。
年表
- 1889年4月1日明治22年比企郡に菅谷村と七郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年4月15日昭和30年菅谷村と七郷村が合併し、新しい菅谷村が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.saitama.lg.jp
- 1967年4月15日昭和42年菅谷村が嵐山へ改称した。種類:改称 出典:www.pref.saitama.lg.jp
- 1967年4月15日昭和42年菅谷村が町制を施行し、嵐山町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.saitama.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。