今のときがわ町
埼玉県西部の比企郡に属し、西側の山地と都幾川沿いの集落を持つ町です。堂平山付近から流れ出す都幾川は町を横断し、町名の由来にもなっています。都幾川村と玉川村が合併して成立し、山林や木を使う仕事、山里の食文化が地域の特色です。川沿いの自然も残り、町の木はヤマモミジ、花はミツバツツジ、鳥は清流に生息するカワセミです。
今のときがわ町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,540人です。今の区域で数えた1980年の11,131人とくらべると5.3%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.8%です。
主な産業:建具などの木工業と、原木きのこや山菜などの農林業が営まれています。
特産品・名産
- 建具木工の技術を生かした地域の製品。
- 原木きのこ原木を使って栽培されるきのこ。
- 山菜山の恵みを生かした特産。
見どころ・祭り
- 都幾川四季彩館温泉を楽しめる施設。
- 慈光寺歴史と文化財を伝える寺。
- 大野特産物販売所きのこや山菜などを扱う直売施設。
木ヤマモミジ花ミツバツツジ鳥カワセミときがわ町の木・花・鳥
ときがわ町のなりたち
ときがわ町(ときがわまち)は、埼玉県川越比企地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。平村・明覚村・大椚村・玉川村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今のときがわ町になりました。
今の名前「ときがわ町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の大椚村が約19km²だったのに対し、今のときがわ町は約56km²と、およそ3.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は比企郡・秩父郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧明覚村の区域には明覚駅(八高線)があります。
「ときがわ町」という名前
ときがわの町名は、町内を流れる都幾川から取られています。堂平山付近を源流とし、町を横切って東へ流れる川の名が町名になりました。2006年に都幾川村と玉川村が合併した新しい町は、川の名前をひらがなで表すときがわを採用しました。現在の町名は「ときがわ」と、ひらがなで表記されます。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、比企郡に玉川村・平村・明覚村、秩父郡に大椚村が発足しました。現在のときがわ町につながる村々は、比企郡と秩父郡に分かれて属していました。
1955年2月11日、比企郡の平村・明覚村と秩父郡の大椚村が新設合併し、比企郡都幾川村となりました。一方、玉川村は合併せず、一つの村として行政を続けました。昭和の大合併後の地域は、都幾川村と玉川村という二村から成っていました。
2006年2月1日、都幾川村と玉川村が新設合併し、ときがわ町が生まれました。昭和に三村を合わせた都幾川村が単独で町になったのではなく、玉川村とともに新しい町をつくった合併です。新しい町名には、両村を流れる川の名前をひらがなで用いました。
町の西側には堂平山付近から続く山地があり、そこを源流とする都幾川が東へ流れます。山林が広がる地域と川沿いの集落を合わせた町で、古くから木を使う仕事が営まれてきました。木工品づくりや山里の食文化が受け継がれています。明治の四村、昭和の二村を経た町は、地域を結ぶ川の名前で行政を続けています。
年表
- 1889年4月1日明治22年比企郡に玉川村・平村・明覚村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年秩父郡に大椚村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年2月11日昭和30年平村・明覚村・大椚村が合併し、比企郡都幾川村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2006年2月1日平成18年都幾川村と玉川村が合併し、ときがわ町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.saitama.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。