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飯能市はんのうし

1920年には9の町村だった区域が、3回の合併・編入を経て、今の飯能市になりました。

9町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の飯能市

埼玉県南西部に位置し、奥武蔵の山々から入間川沿いの市街地まで広がるまちです。西側には森林が連なり、入間川と高麗川の上流域に集落が点在しています。東側の平地には飯能駅や東飯能駅を中心とする市街地があります。古くから木材や農産物が集まる市場町として発展しました。名栗の渓谷や山間の風景と、東京方面へ鉄道で結ばれた市街地が、同じ市の中にあります。

今の飯能市の区域の人口は、2020年の国勢調査で80,361人です。今の区域で数えた1980年の63,902人とくらべると25.8%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.8%です。

80,361人人口(2020年)
+25.8%1980年からの増減
193.05km²面積(国土地理院)
416人/km²人口密度
31.8%65歳以上の割合
85,8861980199020052020
15歳未満 10.6%15〜64歳 57.6%65歳以上 31.8%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:西川材の林業や木工品づくりを受け継ぎ、森林と清流を生かした観光が営まれています。

特産品・名産

  • 西川材の木工品地域の木材を使った木工製品
  • 飯能焼飯能の土を使って焼き上げる陶器
  • 飯能銘茶観光案内所でも販売される地元の茶

見どころ・祭り

  • 天覧山市街地の近くから登れる山
  • 飯能河原入間川の蛇行がつくった広い河原
  • 吾妻峡入間川沿いに続く渓谷

木スギ花ツツジ鳥ウグイス飯能市の木・花・鳥

飯能市のなりたち

飯能市(はんのうし)は、埼玉県西部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、9の町村がありました。精明村・元加治村・南高麗村・加治村・吾野村・東吾野村・原市場村・名栗村・飯能町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の飯能市になりました。

今の名前「飯能市」は、1920年にあった飯能町の名前を受け継いでいます。ほかの8の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の飯能町が約14km²だったのに対し、今の飯能市は約192km²と、およそ13.7倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は入間郡に属していました。

91920年の町村の数
3回合併・編入の回数
193km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「飯能市」という名前

「飯能」は、もともと今の大字飯能、本町、山手町付近を指した地名です。江戸時代の飯能村の東南部に町ができ、明治の自治体発足とその後の合併で、飯能の名が広い区域を代表するようになりました。ただし、言葉そのものの由来ははっきりしていません。山間の地域を含む今の市にも、この名が引き継がれています。

まちの成り立ち

飯能は、入間川の谷が平地へ開く場所に発達したまちです。江戸時代には木材や農産物を扱う市場町となり、山間の村々と江戸方面をつなぎました。1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で飯能町が発足し、周辺には精明村、南高麗村、加治村、元加治村、東吾野村、原市場村、吾野村、名栗村が置かれました。高麗郡の町村は1896年に、秩父郡の吾野村と名栗村は1921年に入間郡へ移りました。

1943年4月1日、飯能町と精明村、南高麗村、加治村、元加治村が合併し、改めて飯能町となりました。1954年1月1日に市制を施行して飯能市となりましたが、同年4月には旧元加治村の大部分などが東金子村へ移っています。この区域は後に西武町を経て入間市に加わりました。

1956年9月30日には、吾野村、東吾野村、原市場村を編入し、市域が高麗川や入間川の上流へ広がりました。平成の大合併では、2005年1月1日に名栗村を編入しています。新しい市をつくり直したのではなく、飯能市が存続する編入でした。山の木材を平地へ運んだ歴史と、河川の流域に沿った合併が、森林の広い現在の市を形づくっています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、高麗郡に飯能町・精明村・南高麗村・加治村・元加治村・東吾野村・原市場村、秩父郡に吾野村・名栗村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1896年4月1日明治29年飯能町・精明村・南高麗村・加治村・元加治村・東吾野村・原市場村の所属が、高麗郡から入間郡に変わった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  3. 1921年7月1日大正10年吾野村と名栗村の所属が、秩父郡から入間郡に変わった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1943年4月1日昭和18年飯能町・精明村・南高麗村・加治村・元加治村が合併し、新たな飯能町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1954年1月1日昭和29年飯能町が市制を施行し、飯能市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.saitama.lg.jp
  6. 1954年4月1日昭和29年飯能市の旧元加治村の大部分と新光の一部が東金子村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  7. 1956年9月30日昭和31年吾野村・東吾野村・原市場村が飯能市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.saitama.lg.jp
  8. 2005年1月1日平成17年名栗村が飯能市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.saitama.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

飯能町→飯能市1889〜今
名栗村1889〜2005
吾野村1889〜1956
東吾野村1889〜1956
原市場村1889〜1956
精明村1889〜1943
元加治村1889〜1943
南高麗村1889〜1943
加治村1889〜1943

参考にした資料