今の鶴ヶ島市
埼玉県の中央部からやや南西に位置する、平坦な台地のまちです。東武東上線と越生線の沿線に市街地が広がり、川越市や坂戸市の住宅地とつながっています。関越自動車道と圏央道が交わる交通の結節点でもあります。都市化した地域の間に農地や樹林が残り、飯盛川沿いにも緑が見られます。脚折雨乞などの行事や、各地の神社に残る文化財が、農村だった頃の暮らしを伝えています。
今の鶴ヶ島市の区域の人口は、2020年の国勢調査で70,117人です。今の区域で数えた1980年の35,842人とくらべると95.6%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.1%です。
主な産業:観光農園でいちごやブルーベリー、キウイなどを栽培しています。
特産品・名産
- いちご冬から春に市内農園で摘み取りができる果実
- ブルーベリー夏に市内農園で摘み取りができる果実
- キウイ秋に市内農園で収穫体験ができる果実
見どころ・祭り
- 脚折雨乞巨大な龍蛇を担いで雨を願う伝統行事
- 白鬚神社脚折雨乞の龍蛇を製作し出発する神社
- 雷電池脚折雨乞で龍神と担ぎ手が入水する池
鶴ヶ島市のなりたち
鶴ヶ島市(つるがしまし)は、埼玉県川越比企地域の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに鶴ヶ島村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい市です。
1920年の時点で、この区域の町村は入間郡に属していました。
「鶴ヶ島市」という名前
「鶴ヶ島」は、脚折の近くにあった島のような場所に鶴が巣をつくったという伝承にちなむとされます。1889年に14の村をまとめたとき、鶴ヶ島村の名が採用されました。その後、村から町、町から市へと移る間も、同じ地名を引き継いでいます。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、上広谷村連合を構成していた14の村がまとまり、高麗郡鶴ヶ島村が発足しました。脚折、三ツ木、藤金、上広谷、太田ヶ谷など、村を形づくった地域の名は現在も地名に残っています。1896年の郡の再編で、高麗郡から入間郡に移りました。1942年には坂戸飛行場の造成に伴い、戸宮の区域が勝呂村へ移っています。
昭和の大合併では、周辺の坂戸町などとの合併が検討されました。しかし村は独立を維持し、1955年には村議会が独立維持を決議しています。合併によって大きな町をつくった坂戸とは、異なる道を歩みました。1966年4月1日に町制を施行し、鶴ヶ島町となりました。鉄道沿線で住宅地が広がり、関越自動車道や圏央道の整備も進んで、農村から首都圏の住宅都市へと変わっていきました。1991年9月1日に市制を施行して鶴ヶ島市が発足しました。平成の大合併でも別の市町村との合併は行わず、明治につくられた村の名前を今も受け継いでいます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、脚折村・三ツ木村・三ツ木新田・五味ヶ谷村・戸宮村・大塚野新田・高倉村・町屋村・藤金村・上新田村・中新田村・下新田村・上広谷村・太田ヶ谷村の区域に高麗郡鶴ヶ島村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年郡の再編により、鶴ヶ島村の所属が高麗郡から入間郡に変わった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1942年12月昭和17年鶴ヶ島村の戸宮の区域が勝呂村に編入された。種類:一部編入 出典:adeac.jp
- 1966年4月1日昭和41年鶴ヶ島村が町制を施行し、鶴ヶ島町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.saitama.lg.jp
- 1991年9月1日平成3年鶴ヶ島町が市制を施行し、鶴ヶ島市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.saitama.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- adeac.jp/tsurugashima-lib/top/topg/photograph.html
- www.city.tsurugashima.lg.jp/data/doc/1635472022_doc_1054_0.pdf
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%B6%B4%E3%83%B6%E5%B3%B6%E5%B8%82&action=r
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%A5%E9%96%93%E9%83%A1&action=raw
- www.pref.saitama.lg.jp/documents/278743/n25-01-05.xlsx