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高梁市たかはしし

1920年には22の町村だった区域が、10回の合併・編入を経て、今の高梁市になりました。

22町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の高梁市

岡山県の中西部にある市です。中心部を高梁川が流れ、備中松山藩の城下町として栄えました。現存する天守の中で最も高い所にある山城、備中松山城が町を見下ろします。市の北西部の吹屋は、江戸時代から大正にかけて銅山とベンガラの産地で、赤い町並みが残ります。秋から冬の朝には雲海が見られ、観光客が訪れます。ブドウやトマトの産地でもあります。

今の高梁市の区域の人口は、2020年の国勢調査で29,072人です。今の区域で数えた1980年の47,013人とくらべると38.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.5%です。

29,072人人口(2020年)
−38.2%1980年からの増減
546.99km²面積(国土地理院)
53人/km²人口密度
41.5%65歳以上の割合
47,0131980199020052020
15歳未満 8.9%15〜64歳 49.7%65歳以上 41.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:農業、製造業、観光業が主な産業です。ニューピオーネやトマト、シャクヤクを作ります。

特産品・名産

  • ニューピオーネブドウの品種。県内一の産地
  • トマト県内一の産地
  • シャクヤク花の産地。中四国最大

見どころ・祭り

  • 備中松山城現存天守で唯一の山城。国の重要文化財
  • 吹屋ふるさと村ベンガラの赤い町並み。重要伝統的建造物群保存地区
  • 頼久寺愛宕山を借景にした庭園がある
  • 石火矢町ふるさと村武家屋敷街。一部が公開されている
  • 高梁基督教会堂県内で現存最古のキリスト教会

木アカマツ花サクラ鳥ヤマセミ高梁市の木・花・鳥

高梁市のなりたち

高梁市(たかはしし)は、岡山県備中の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、22の町村がありました。松山村・手荘村・高山村・大賀村・巨瀬村・高倉村・川面村・宇治村・津川村・松原村・玉川村・落合村・中井村・中村・吹屋町・上有漢村・湯野村・平川村・富家村・有漢村・成羽町・高梁町です。これらの町村が、10回の合併や編入を経て、今の高梁市になりました。

今の名前「高梁市」は、1920年にあった高梁町の名前を受け継いでいます。ほかの21の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

1920年の時点で、この区域の町村は上房郡・川上郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、上房郡は2005年(平成17年)3月31日に廃止されました、川上郡は2004年(平成16年)10月1日に廃止されました。

221920年の町村の数
10回合併・編入の回数
547km²今の面積
2004年いちばん新しい合併

「高梁市」という名前

「高梁」の名は、川の名から付いた藩の名に由来します。江戸時代の高梁は、備中松山藩の城下町でした。幕末に藩主が旧幕府軍に加わったため、新政府は備中松山藩を敵とみなし、同名の伊予松山藩と区別するために藩名の変更を求めました。そこで、高梁川の名から取って高梁藩と改めました。これが今の高梁市の名の由来です。

まちの成り立ち

高梁は、古くから備中国の中心の一つで、江戸時代は備中松山藩の城下町として栄えました。高梁川の水運を使って、物資が玉島港まで運ばれました。1889年(明治22年)6月1日の町村制で、上房郡に高梁町や松山村などが、川上郡に成羽村や吹屋村などが発足しました。1929年(昭和4年)には高梁町と松山村が合わさって、改めて高梁町となりました。1954年(昭和29年)5月1日、上房郡の高梁町・川面村・巨瀬村・津川村と、川上郡の宇治村・落合村・高倉村・玉川村・松原村の1町8村が新設合併し、市制を施行して高梁市が発足しました。1955年(昭和30年)2月1日には、中井村を編入しています。周りの地域でも町が生まれました。川上郡では、手荘町・高山村・大賀村が1954年に川上町になり、湯野村・平川村・富家村が1956年に備中町になりました。成羽町は1955年に中村と合わさり、吹屋町を編入しています。上房郡では、有漢村と上有漢村が1956年に合わさって有漢町になりました。2004年(平成16年)10月1日、高梁市・有漢町・成羽町・川上町・備中町の1市4町が新設合併し、改めて高梁市が発足しました。この合併で川上郡はなくなりました。

年表

  1. 1889年6月1日明治22年町村制の施行により、上房郡に高梁町・松山村・津川村・川面村・巨瀬村・有漢村・上有漢村など、川上郡に東成羽村・成羽村・玉川村・手荘村・吹屋村・宇治村・中村・松原村・高倉村・落合村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1900年4月1日明治33年郡制の施行に合わせて、阿賀郡の中井村などが上房郡の所属となった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  3. 1901年2月6日明治34年川上郡の吹屋村が町制を施行し、吹屋町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1901年4月1日明治34年川上郡の東成羽村が町制を施行し、改称して成羽町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1906年4月1日明治39年川上郡の成羽町と成羽村が合併し、改めて成羽町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  6. 1929年5月10日昭和4年上房郡の高梁町と松山村が合併し、改めて高梁町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  7. 1950年4月1日昭和25年川上郡の手荘村が町制を施行し、手荘町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  8. 1954年4月1日昭和29年川上郡の手荘町・大賀村・高山村が合併し、川上町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  9. 1954年5月1日昭和29年上房郡の高梁町・津川村・川面村・巨瀬村と川上郡の玉川村・宇治村・松原村・高倉村・落合村が合併し、市制を施行して高梁市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  10. 1955年2月1日昭和30年上房郡中井村が高梁市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  11. 1955年3月1日昭和30年川上郡の成羽町と中村が合併し、改めて成羽町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  12. 1955年4月1日昭和30年川上郡吹屋町が成羽町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  13. 1956年4月1日昭和31年上房郡の有漢村と上有漢村が合併し、有漢町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  14. 1956年9月30日昭和31年川上郡の富家村・平川村・湯野村が合併し、備中町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  15. 2004年10月1日平成16年高梁市と上房郡有漢町、川上郡の成羽町・川上町・備中町が合併し、改めて高梁市が発足した。川上郡はなくなった。種類:新設合併 出典:www.pref.okayama.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

高梁町→高梁市1889〜今
有漢村→有漢町1889〜2004
上有漢村1889〜1956
成羽町1901〜2004
吹屋町1901〜1955
中村1889〜1955
川上町1954〜2004
手荘村→手荘町1889〜1954
高山村1889〜1954
大賀村1889〜1954
備中町1956〜2004
湯野村1889〜1956
平川村1889〜1956
富家村1889〜1956
中井村1889〜1955
落合村1889〜1955
巨瀬村1889〜1954
高倉村1889〜1954
川面村1889〜1954
宇治村1889〜1954
津川村1889〜1954
松原村1889〜1954
玉川村1889〜1954
松山村1889〜1929

参考にした資料