今の矢掛町
岡山県南西部にあり、旧山陽道の宿場町として栄えた町です。小田川が流れ、矢掛と小田の二つの市街地があります。町の面積の半分ほどが中山間地域です。中心市街地には、国の重要文化財の本陣や脇本陣など、宿場の建物が残ります。農業は稲作が中心で、ぶどうや梨も作られます。近年は観光に訪れる人が増え、ホタルの里としても知られます。
今の矢掛町の区域の人口は、2020年の国勢調査で13,414人です。今の区域で数えた1980年の18,400人とくらべると27.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.0%です。
主な産業:農業が主な産業で、稲作のほか果実も作られます。商業と観光も増えています。
特産品・名産
- ゆべし町の名物の菓子
- 備中手延べ麺町の名物の麺
- ぶどう・梨・いちじく稲作のほか作られる果実
見どころ・祭り
- 旧矢掛本陣石井家国の重要文化財
- 旧矢掛脇本陣高草家国の重要文化財
- 矢掛宿場祭り11月に大名行列が行われる
- 宇内ホタル公園ホタルの観賞地
- 吉備真備公園町内の公園
木アカマツ花サクラ鳥ウグイス矢掛町の木・花・鳥
矢掛町のなりたち
矢掛町(やかげちょう)は、岡山県備中の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。美川村・川面村・三谷村・中川村・山田村・小田村・矢掛町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の矢掛町になりました。
今の名前「矢掛町」は、1920年にあった矢掛町の名前を受け継いでいます。ほかの6の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の矢掛町が約9km²だったのに対し、今の矢掛町は約89km²と、およそ9.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は小田郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧三谷村の区域には三谷駅(井原鉄道 井原線)があります。旧小田村の区域には小田駅(井原鉄道 井原線)があります。
「矢掛町」という名前
「矢掛」という地名の由来は、はっきりしていません。矢掛は、旧山陽道の宿場町として栄えた所です。1889年(明治22年)6月1日の町村制施行で、小田郡に矢掛村が発足し、1896年(明治29年)2月26日に町制を施行して矢掛町になりました。その後、周りの村と合わさって、1954年に現在の矢掛町が発足しています。
まちの成り立ち
矢掛は、旧山陽道の宿場町で、中心市街地には今も往時の町並みが残っています。1889年(明治22年)6月1日の町村制施行で、小田郡に矢掛村・美川村・三谷村・山田村・中川村・川面村・小田村が発足しました。1896年(明治29年)2月26日、矢掛村が町制を施行して矢掛町になりました。1925年(大正14年)6月1日には、小田村が町制を施行して小田町になっています。1954年(昭和29年)5月1日、矢掛町と美川村・三谷村・山田村・川面村・中川村の1町5村が合併して、新たに小田郡矢掛町が発足しました。1961年(昭和36年)1月15日には、小田町を編入し、今の町域になりました。町の面積の半分ほどは、旧美川村などの中山間地域です。一方で、人口のほとんどは矢掛・川面・小田の平野部に集まっています。旧山陽道沿いの宿場の建物は、今は観光の資源になっています。岡山都市圏や倉敷都市圏に含まれ、特に倉敷市との結び付きが強い町です。近年は、ホタルの里としても知られています。
年表
- 1889年6月1日明治22年町村制の施行により、小田郡に矢掛村・美川村・三谷村・山田村・川面村・中川村・小田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年2月26日明治29年小田郡の矢掛村が町制を施行し、矢掛町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1925年6月1日大正14年小田郡の小田村が町制を施行し、小田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1954年5月1日昭和29年小田郡の矢掛町・美川村・三谷村・山田村・川面村・中川村が合併し、改めて矢掛町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1961年1月15日昭和36年小田郡小田町が矢掛町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。