今の倉敷市
岡山県の南部にある市で、岡山県では岡山市に次ぐ大きな市です。江戸時代に幕府の直轄地として栄えた倉敷川沿いに、白壁の美観地区があります。南の水島地区には石油化学や鉄鋼、自動車の工場が並ぶ臨海工業地帯が広がります。南東の児島地区は繊維の産地で、国産ジーンズ発祥の地です。瀬戸大橋もあり、鷲羽山は瀬戸内海の眺めで知られます。
今の倉敷市の区域の人口は、2020年の国勢調査で474,592人です。今の区域で数えた1980年の432,171人とくらべると9.8%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は28.9%です。
主な産業:水島臨海工業地帯の石油化学・鉄鋼・自動車と、児島の繊維工業が中心です。
特産品・名産
- 児島ジーンズ1965年に児島で国産ジーンズの生産が始まった
- ままかり下津井などで水揚げされる魚
- マスカット船穂地区で作られるブドウ
見どころ・祭り
- 倉敷美観地区倉敷川畔の白壁の町並み。重要伝統的建造物群保存地区
- 大原美術館美観地区にある美術館
- 鷲羽山瀬戸大橋を望む景勝地
- 下津井町並み保存地区港町の町並み
- 玉島町並み保存地区港町玉島の町並み
木クスノキ花フジ鳥カワセミ倉敷市の木・花・鳥
倉敷市のなりたち
倉敷市(くらしきし)は、岡山県備中の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、34の町村がありました。万寿村・大高村・小田村・赤崎村・中洲村・本荘村・味野町・下津井町・粒江村・菅生村・中庄村・帯江村・岡田村・川辺村・薗村・呉妹村・箭田村・二万村・豊洲村・河内村・長尾村・富田村・黒崎村・連島町・福田村・藤戸町・穂井田村・琴浦町・郷内村・玉島町・庄村・茶屋町・船穂村・倉敷町です。これらの町村が、26回の合併や編入を経て、今の倉敷市になりました。
今の名前「倉敷市」は、1920年にあった倉敷町の名前を受け継いでいます。ほかの33の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は児島郡・吉備郡・浅口郡・都窪郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、児島郡は2005年(平成17年)3月22日に廃止されました、吉備郡は2005年(平成17年)8月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧中庄村の区域には中庄駅(山陽本線)があります。旧川辺村の区域には川辺宿駅(井原鉄道 井原線)があります。旧玉島町の区域には玉島駅(山陽本線)があります。旧茶屋町の区域には茶屋町駅(本四備讃線)があります。
「倉敷市」という名前
現在の倉敷市の名は、倉敷美観地区の一帯にあった旧地名の「倉敷村」に由来します。倉敷という地名は、中世に年貢米などを領主へ送るため集めておいた場所、「倉敷地」に由来するという説が、地元の歴史家の間では有力とされています。倉敷地は「蔵屋敷」の転訛ともいわれますが、確定していません。
まちの成り立ち
倉敷の中心部は、江戸時代に幕府の直轄地になったことで栄えました。白壁の町並みは、今は倉敷美観地区として保存されています。1927年(昭和2年)に倉敷町・万寿村・大高村が合わさって新しい倉敷町が生まれ、1928年(昭和3年)4月1日に市制を施行して、最初の倉敷市が発足しました。児島では、1948年に味野町・児島町・下津井町・本荘村が合わさって児島市が生まれました。玉島では、1952年に玉島町が市制を施行して玉島市になりました。倉敷市は、1944年に中洲町を、1950年から1954年にかけて粒江村・菅生村・中庄村・帯江村・豊洲村の大部分・西阿知町・連島町・福田町・藤戸町を編入しています。1967年(昭和42年)2月1日、倉敷市・児島市・玉島市の3市が新設合併して、今の倉敷市が発足しました。その後、1971年に庄村を、1972年に茶屋町を編入しています。2005年(平成17年)8月1日には、浅口郡の船穂町と吉備郡の真備町を編入しました。市域は都窪郡・浅口郡・吉備郡・児島郡にまたがる広さです。2002年(平成14年)には、中核市に指定されました。
年表
- 1889年6月1日明治22年町村制の施行により、窪屋郡に倉敷村など、都宇郡・児島郡・浅口郡・下道郡ののちの市域に各村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年2月26日明治29年児島郡の下津井村が町制を施行し、下津井町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1897年5月26日明治30年浅口郡の玉島村と阿賀崎村が合併し、玉島町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1900年4月1日明治33年郡制の施行で窪屋郡と都宇郡が都窪郡に、下道郡が吉備郡になった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1901年4月1日明治34年都窪郡の大市村と葦高村が合併し、大高村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1902年10月1日明治35年浅口郡の玉島町・乙島村・柏崎村が合併して改めて玉島町が、甲内村と西阿知村が合併して河内村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1903年1月1日明治36年浅口郡の連島村・鶴新田村・西之浦村・亀島村が合併し、改めて連島村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1903年12月1日明治36年浅口郡の池田村と道口村が合併し、富田村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1904年4月1日明治37年児島郡の福田村・呼松村・福田新田村が合併し、改めて福田村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1906年3月28日明治39年児島郡の味野村が町制を施行し、味野町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1906年4月1日明治39年児島郡の福岡村と木見村・彦崎村の各一部が合併し、郷内村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1907年4月1日明治40年児島郡の田ノ口村と鴻村が合併し、琴浦村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1907年10月1日明治40年児島郡の下津井町と長浜村が合併し、改めて下津井町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1912年4月1日明治45年浅口郡の連島村が町制を施行し、連島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1915年11月大正4年児島郡の琴浦村が町制を施行して琴浦町に、藤戸村が町制を施行して藤戸町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1922年1月1日大正11年浅口郡の河内村が町制を施行し、河内町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1925年11月1日大正14年浅口郡の長尾村が町制を施行し、長尾町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1926年1月1日大正15年浅口郡の河内町が西阿知町に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1927年4月1日昭和2年都窪郡の倉敷町・万寿村・大高村が合併し、改めて倉敷町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1928年4月1日昭和3年都窪郡の倉敷町が市制を施行し、倉敷市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1928年11月1日昭和3年児島郡の小田村が町制を施行し、改称して児島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1930年8月1日昭和5年児島郡福田村の一部(浦田)が倉敷市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1935年1月1日昭和10年児島郡の赤崎村が町制を施行し、赤崎町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1940年2月11日昭和15年浅口郡の船穂村が町制を施行し、船穂町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1940年12月1日昭和15年都窪郡の中洲村が町制を施行し、中洲町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1941年2月11日昭和16年児島郡の味野町と赤崎町が合併し、改めて味野町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1944年1月1日昭和19年都窪郡中洲町が倉敷市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1947年12月9日昭和22年児島郡の福田村が町制を施行し、福田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1948年4月1日昭和23年児島郡の味野町・児島町・下津井町・本荘村が合併し、市制を施行して児島市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1950年4月1日昭和25年吉備郡の箭田村が町制を施行し、箭田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1950年9月1日昭和25年児島郡粒江村が倉敷市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1951年1月1日昭和26年浅口郡の黒崎村が町制を施行し、黒崎町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1951年3月28日昭和26年都窪郡の菅生村・中庄村・帯江村が倉敷市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1951年4月1日昭和26年吉備郡の岡田村と川辺村が合併し、大備村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1952年1月1日昭和27年浅口郡の玉島町が市制を施行し、玉島市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1952年4月1日昭和27年吉備郡の二万村・大備村・薗村・箭田町・呉妹村が合併して真備町が発足し、同じ日に都窪郡豊洲村が分割されて大部分が倉敷市、残りが茶屋町に編入された。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1953年1月1日昭和28年浅口郡西阿知町が倉敷市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1953年2月11日昭和28年浅口郡長尾町が玉島市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1953年4月1日昭和28年浅口郡の黒崎町と富田村が玉島市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1953年6月1日昭和28年浅口郡連島町と児島郡福田町が倉敷市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年12月1日昭和29年児島郡藤戸町が倉敷市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1956年4月1日昭和31年吉備郡穂井田村が分割され、大部分が玉島市、服部の一部が真備町に編入された。同じ日に児島郡琴浦町と児島市が合併し、改めて児島市が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1959年3月1日昭和34年児島郡郷内村が分割され、植松が灘崎町、残りが児島市に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1967年2月1日昭和42年倉敷市・児島市・玉島市が合併し、改めて倉敷市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1971年3月8日昭和46年都窪郡庄村が倉敷市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1972年5月1日昭和47年都窪郡茶屋町が倉敷市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2005年8月1日平成17年浅口郡船穂町と吉備郡真備町が倉敷市に編入された。吉備郡はなくなった。種類:編入 出典:www.pref.okayama.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。