今の早島町
岡山県南部にある町で、岡山市と倉敷市に四方を囲まれています。町の南側は干拓地で、中央にはかつて島だった丘陵があります。北部の丘陵には、流通団地や大きな展示場が集まっています。古くから金毘羅往来の通り道で、江戸時代には旗本戸川氏の陣屋が置かれました。干拓地ではい草が育てられ、花ござの産地として知られてきました。
今の早島町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,368人です。今の区域で数えた1980年の10,816人とくらべると14.3%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は27.8%です。
主な産業:流通団地と展示場のある商業のまちで、米づくりも行います。い草製品の伝統があります。
特産品・名産
- 花ござ色付けしたい草で模様を織る敷物
- い草製品上敷きなど。町内にい草製品の展示販売がある
- 米農業は米づくりが中心
見どころ・祭り
- 戸川家記念館旗本戸川氏にゆかりの記念館
- 早島町歴史民俗資料館町の歴史を伝える資料館
- 早島公園桜やつつじの名所
- コンベックス岡山大規模な展示場。岡山県総合流通センター内
木カイヅカイブキ花サツキ早島町の木・花
早島町のなりたち
早島町(はやしまちょう)は、岡山県備中の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに早島町として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は都窪郡に属していました。
「早島町」という名前
「早島」の名は、この地がかつて内海に浮かぶ島の一つだったことと関わるとされますが、「早」の字の由来ははっきりしていません。町域の大部分は、古代には「吉備の穴海」と呼ばれた内海でした。高梁川などが運ぶ土砂で少しずつ干潟になり、のちに干拓されて陸続きになりました。1889年(明治22年)6月1日に、早島村・矢尾村・前潟村が合わさって、早島村が発足しています。
まちの成り立ち
早島町の南部は干拓地で、岡山平野の一部です。中央部にはかつて島だった丘陵があり、北部も丘陵です。江戸時代には旗本の早島戸川氏3千石の陣屋が置かれました。戦国大名の宇喜多氏が一帯の領主になると、干拓による新田開発が進みました。このとき築かれた宇喜多堤は、四国の金刀比羅宮へ向かう金毘羅往来の一部になりました。山陽道から南へ下る道と、岡山から東西に来る道が早島で合流し、宇喜多堤を西へ進んだため、人の往来でにぎわいました。1889年(明治22年)6月1日の町村制施行で、早島村・矢尾村・前潟村の区域が合わさり、早島村が発足しました。1896年(明治29年)2月26日には町制を施行して、早島町となりました。1987年(昭和62年)3月9日には、町旗と町章が定められています。その後は他の市町村と合併や編入をしておらず、単独で続いています。岡山市と倉敷市に四方を囲まれ、両市への通勤や通学が多い町です。町内には鉄道の早島駅があり、山陽自動車道と瀬戸中央自動車道の早島インターチェンジもあります。
年表
- 1889年6月1日明治22年町村制の施行により、都宇郡の早島村・矢尾村・前潟村の区域をもって早島村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年2月26日明治29年都宇郡の早島村が町制を施行し、早島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1900年4月1日明治33年郡制の施行で都宇郡と窪屋郡が合わさって都窪郡となり、早島町は都窪郡の所属となった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。