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総社市そうじやし

1920年には17の町村だった区域が、7回の合併・編入を経て、今の総社市になりました。

17町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の総社市

岡山県の中南部にある市で、古代吉備の中心地でした。高梁川が北西から南へ貫き、中央部は小さな盆地になっています。北部と西部は吉備高原、南部は丘陵です。鬼ノ城や備中国分寺、作山古墳など遺跡や史跡が多く、画聖雪舟の生まれた地とも言われます。岡山市のベッドタウンであり、自動車部品などの工業団地もあります。モモやブドウの産地です。

今の総社市の区域の人口は、2020年の国勢調査で69,030人です。今の区域で数えた1980年の56,865人とくらべると21.4%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は28.5%です。

69,030人人口(2020年)
+21.4%1980年からの増減
212.01km²面積(国土地理院)
326人/km²人口密度
28.5%65歳以上の割合
69,0301980199020052020
15歳未満 14.1%15〜64歳 57.5%65歳以上 28.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:自動車部品などの製造業と、米・ブドウ・モモなどの農業が主な産業です。

特産品・名産

  • モモ(白桃)山手地区などで栽培される
  • ブドウマスカットやピオーネを作る
  • 赤米新本地区で作る

見どころ・祭り

  • 鬼ノ城古代の山城跡。国の史跡
  • 備中国分寺吉備路の寺院
  • 作山古墳市内の代表的な古墳
  • 豪渓槇谷川沿いの景勝地
  • 備中国総社宮市名のもとになった神社

木モミジ花レンゲ鳥タンチョウ総社市の木・花・鳥

総社市のなりたち

総社市(そうじやし)は、岡山県備中の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、17の町村がありました。服部村・神在村・富山村・水内村・日美村・下倉村・秦村・三須村・池田村・阿曾村・山田村・久代村・新本村・常盤村・山手村・清音村・総社町です。これらの町村が、7回の合併や編入を経て、今の総社市になりました。

今の名前「総社市」は、1920年にあった総社町の名前を受け継いでいます。ほかの16の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の総社町が約13km²だったのに対し、今の総社市は約208km²と、およそ15.7倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は吉備郡・都窪郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、吉備郡は2005年(平成17年)8月1日に廃止されました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧服部村の区域には服部駅(吉備線)があります。旧清音村の区域には清音駅(伯備線)があります。

171920年の町村の数
7回合併・編入の回数
212km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「総社市」という名前

「総社」の名は、備中国総社宮に由来します。奈良時代に備中国の国府が置かれ、国府が廃れたあとも、総社宮が残りました。江戸時代には、総社宮の鳥居前町であり、街道の宿場町であり、浅尾藩の陣屋町でもありました。町が総社宮を中心にできていたため、通称で「総社」と呼ばれるようになり、これが町の名の始まりです。当時の正式な地区名は八部(やたべ)でした。

まちの成り立ち

総社は、かつて吉備国の中心地域で、奈良時代には備中国の国府が置かれたと言われます。市内には、作山古墳をはじめとする古墳や、鬼ノ城、備中国分寺などの史跡が多くあります。明治の初めに、賀陽郡の八部村・刑部村・小寺村の一部が合わさって、賀陽郡総社村が生まれました。1889年(明治22年)6月1日に井手村と合わさり、1896年(明治29年)2月26日に町制を施行して総社町になりました。1951年(昭和26年)に服部村と神在村を編入し、1954年(昭和29年)3月1日に秦村と三須村を編入しています。同じ年の3月31日、総社町・新本村・山田村・久代村・池田村・阿曽村・常盤村の1町6村が合併し、市制を施行して総社市が発足しました。1972年(昭和47年)4月22日には昭和町を編入しています。昭和町は、1952年に富山村・水内村・日美村・下倉村が合わさってできた町です。2005年(平成17年)3月22日、総社市と山手村・清音村の1市2村が新設合併して、新しい総社市となりました。市章は旧総社市のものが引き継がれています。市は岡山市のベッドタウンとして発展しています。

年表

  1. 1889年6月1日明治22年町村制の施行により、賀陽郡の総社村と井手村が合わさって総社村となり、賀陽郡・下道郡・窪屋郡ののちの市域に各村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1896年2月26日明治29年賀陽郡の総社村が町制を施行し、総社町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1900年4月1日明治33年郡制の施行で賀陽郡と下道郡が吉備郡に、窪屋郡と都宇郡が都窪郡になった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1908年2月11日明治41年吉備郡の総社町と浅尾村が合併し、改めて総社町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1951年4月1日昭和26年吉備郡の神在村・服部村が総社町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  6. 1952年4月1日昭和27年吉備郡の日美村・富山村・下倉村・水内村が合併し、昭和町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  7. 1954年3月1日昭和29年吉備郡秦村と都窪郡三須村が総社町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  8. 1954年3月31日昭和29年吉備郡の総社町・新本村・山田村・久代村・池田村・阿曽村と都窪郡常盤村が合併し、市制を施行して総社市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  9. 1972年4月22日昭和47年吉備郡昭和町が総社市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  10. 2005年3月22日平成17年総社市と都窪郡の山手村・清音村が合併し、改めて総社市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.okayama.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

総社町→総社市1908〜今
山手村1889〜2005
清音村1889〜2005同じ名前の駅:清音駅
昭和町1952〜1972
富山村1889〜1952
水内村1889〜1952
日美村1889〜1952
下倉村1889〜1952
池田村1889〜1954
阿曾村1889〜1954
山田村1889〜1954
久代村1889〜1954
新本村1889〜1954
常盤村1889〜1954
秦村1889〜1954
三須村1889〜1954
服部村1889〜1951同じ名前の駅:服部駅
神在村1889〜1951

参考にした資料