今の大和高田市
奈良盆地の南西部にある市です。葛城山麓や二上山麓から続く扇状地に位置し、高田川と葛城川が流れます。専立寺の門前を中心に商業が育ち、綿花取引から繊維工業へと発展しました。今も靴下などの繊維製品が地場産業を支えています。周辺の農地ではねぎや葉物野菜を栽培しています。高田川畔と大中公園の桜、古い街道沿いの寺院や町並みが、商都として歩んだ町の景観を形づくっています。
今の大和高田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で61,744人です。今の区域で数えた1980年の61,711人とくらべると0.1%ふえ、人口は1995年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.6%です。
主な産業:繊維製品の製造と商業が発達し、ねぎや葉物野菜の栽培も行われています。
特産品・名産
- ねぎ市がブランド化した特産野菜の一つ
- ほうれんそう特産野菜として栽培・出荷される
- こまつな市の特産野菜五品目の一つ
見どころ・祭り
- 高田千本桜高田川畔や大中公園に続く桜
- 不動院(大日堂)市街地にある寺院
- 太神宮の高燈籠伊勢街道の旅人の道しるべ
木さざんか花コスモス大和高田市の木・花
大和高田市のなりたち
大和高田市(やまとたかだし)は、奈良県中部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。松塚村・土庫村・高田町・磐園村・浮孔村・陵西村・天満村です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の大和高田市になりました。
今の名前「大和高田市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの7の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の浮孔村が約4km²だったのに対し、今の大和高田市は約16km²と、およそ4.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北葛城郡・高市郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧高田町の区域には高田駅(桜井線)があります。
「大和高田市」という名前
市名は、1889年に発足した高田町の名を受け継いでいます。1948年の市制施行では、旧国名の大和を冠して「大和高田市」となりました。新潟県にすでに高田市があったためとされています。高田の名は中世の高田城や、近世に専立寺の門前で発展した高田の町にも使われてきました。商業の町として歩んだ土地の名が、今の市名につながっています。
まちの成り立ち
1889年4月1日の町村制で、高田村・山内村と中井戸村の一部を合わせ、葛下郡高田町が発足しました。周辺には土庫村・松塚村・浮孔村・磐園村・陵西村が置かれました。1897年に葛下郡と広瀬郡がまとまり、高田町などは北葛城郡に属します。
1901年には浮孔村の三倉堂の一部を編入しました。1927年8月22日には土庫村・松塚村、1941年1月1日には浮孔村・磐園村を編入し、町域を広げています。1948年1月1日、高田町は市制を施行し、大和高田市となりました。奈良県では奈良市に次ぐ二番目の市でした。
昭和の大合併では、1956年9月30日に陵西村、1957年3月1日に高市郡天満村を編入しました。同年7月1日には広陵町の池尻と藤森の一部が加わり、箸喰は橿原市へ移っています。こうして葛下郡の町村を中心に、高市郡や旧広瀬郡の一部も含む市域がまとまりました。
高田は専立寺の門前に商人が集まり、綿花の取引で栄えた町です。近代には紡績や繊維の工業が育ちました。高田川沿いの市街地と、その周囲に広がった農村が、合併を重ねて一つの市になっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、葛下郡に高田町(高田村・山内村・中井戸村の一部)・土庫村(土庫村・中井戸村の大部分)・松塚村・浮孔村(三倉堂村・東中村・曽大根村・勝目村・田井村・今里村・今里村川合方)・磐園村(磯野村・大中村・有井村・神楽村・築山村)・陵西村(池田村・大谷村・野口村・市場村・岡崎村)が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年高市郡の奥田村・吉井村・根成柿村・秋吉村・西坊城村・出村・箸喰村の区域で天満村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年広瀬郡に瀬南村(池尻村・藤森村・南郷村・古寺村)・馬見村(三吉村・疋相村・平尾村・安部村・大塚村・笠村)・百済村(百済村・広瀬村)が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年葛下郡・広瀬郡の区域で北葛城郡が発足し、高田町・土庫村・松塚村・浮孔村・磐園村・陵西村・瀬南村・馬見村・百済村は北葛城郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1901年4月1日明治34年北葛城郡浮孔村の大字三倉堂の一部が高田町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
- 1927年8月22日昭和2年北葛城郡土庫村・松塚村が高田町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
- 1941年1月1日昭和16年北葛城郡浮孔村・磐園村が高田町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
- 1948年1月1日昭和23年北葛城郡高田町が市制を施行し、大和高田市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.nara.lg.jp
- 1953年5月1日昭和28年北葛城郡馬見村が町制を施行し、馬見町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.nara.lg.jp
- 1955年4月15日昭和30年北葛城郡馬見町・瀬南村・百済村が合併し、広陵町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.nara.lg.jp
- 1956年9月30日昭和31年北葛城郡陵西村が大和高田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
- 1957年3月1日昭和32年高市郡天満村が大和高田市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
- 1957年7月1日昭和32年北葛城郡広陵町の大字池尻と藤森の一部(363の1・363の3・364の1・364の3・365の3を除く区域)が大和高田市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
- 1957年7月1日昭和32年大和高田市の大字箸喰が橿原市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.pref.nara.lg.jp/documents/12514/n040103.pdf
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A7%E5%92%8C%E9%AB%98%E7%94%B0%E5%B8%82
- www.city.yamatotakada.nara.jp/soshikikarasagasu/sportsbunka/bunkashinko/rekishit
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%91%9B%E4%B8%8B%E9%83%A1&action=raw
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%AB%98%E5%B8%82%E9%83%A1&action=raw
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BA%83%E7%80%AC%E9%83%A1&action=raw
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8C%97%E8%91%9B%E5%9F%8E%E9%83%A1&action=r