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田原本町たわらもとちょう

1920年には5の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の田原本町になりました。

5町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の田原本町

田原本町は奈良盆地の中央部に広がる田園の町です。東部の大和川、中央の寺川、西部の飛鳥川や曽我川が北へ流れ、川の間に平坦な土地が続きます。唐古・鍵遺跡に代表される弥生時代の遺産があり、中心部は寺内町や陣屋町として発展しました。現在は京阪神へ通う住宅地の性格も持ちます。味間いもやイチゴの栽培が行われ、古い町並みや神社と田畑の風景が身近に残っています。

今の田原本町の区域の人口は、2020年の国勢調査で31,177人です。今の区域で数えた1980年の28,172人とくらべると10.7%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は32.2%です。

31,177人人口(2020年)
+10.7%1980年からの増減
21.09km²面積(国土地理院)
1,478人/km²人口密度
32.2%65歳以上の割合
33,0291980199020052020
15歳未満 11.9%15〜64歳 55.9%65歳以上 32.2%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:味間いもやイチゴなどの農業と、プラスチック・金属加工などの製造業が営まれています。

特産品・名産

  • 味間いも味間地区で受け継がれる大和の伝統野菜
  • イチゴ町の主要な農産物の一つ
  • 味間いも焼酎「里の香」町特産の味間いもを使った焼酎

見どころ・祭り

  • 唐古・鍵遺跡史跡公園弥生時代の大規模集落跡を伝える公園
  • 鏡作坐天照御魂神社八尾に鎮座する、鏡作りに関わる古社
  • 浄照寺江戸時代の本堂が県指定文化財

木イチイガシ花スイセン田原本町の木・花

田原本町のなりたち

田原本町(たわらもとちょう)は、奈良県北部地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。川東村・都村・平野村・多村・田原本町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の田原本町になりました。

今の名前「田原本町」は、1920年にあった田原本町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

1920年の時点で、この区域の町村は磯城郡に属していました。

51920年の町村の数
1回合併・編入の回数
21km²今の面積
1956年いちばん新しい合併

「田原本町」という名前

田原本町の名は、寺川沿いに発達した田原本の町場から受け継いでいます。中世には楽田寺の門前、近世には教行寺の寺内町として開け、平野氏の陣屋町となりました。1889年(明治22年)の町村制で田原本町が発足しました。1956年(昭和31年)に周辺の四村と新しい町をつくったときも、中心の町場の名である「田原本」を引き継いでいます。

まちの成り立ち

田原本町には弥生時代の唐古・鍵遺跡があり、古くから水田耕作が行われてきました。寺川沿いの田原本地区は、楽田寺の門前や教行寺の寺内町として発展しました。江戸時代には平野氏の陣屋町となり、水陸の交通を背景に商業が栄えました。

1889年(明治22年)4月1日、十市郡に田原本町・多村・平野村、式下郡に川東村・都村が発足しました。1897年には式上郡・式下郡・十市郡がまとまって磯城郡となり、五つの町村は同じ郡に属することになりました。1918年に大和鉄道、1923年に大軌電車が開通し、駅前に商店街が形成されました。

1956年(昭和31年)9月30日、田原本町・多村・川東村・都村・平野村の一町四村が新設合併し、新しい田原本町が誕生しました。1957年7月1日には飯高・大垣・豊田・西新堂・新ノ口の五大字が橿原市へ移りました。1958年10月15日には檜垣・遠田・海知・武蔵の四大字が天理市へ移り、現在へ続く町の区域がまとまりました。

1965年ごろから京阪神のベッドタウンとして宅地開発が進みました。今も田園と住宅地が広がり、唐古・鍵遺跡や古い神社、中心部の町並みが、時代ごとの営みを伝えています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、十市郡田原本村の区域で田原本町が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年十市郡の佐味村・大網村・金剛寺村・松本村・西竹田村・竹田南方村・満田村・十六面村・保津村・薬王寺村・下之庄村・飯高村の区域で平野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1889年4月1日明治22年十市郡の秦庄村・千代村・味間村・宮ノ森村・新木村・矢部村・多村・大垣村・豊田村・新口村・西新堂村の区域で多村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  4. 1889年4月1日明治22年式下郡の檜垣村・遠田村・武蔵村・海知村・為川村南方・為川村北方・蔵堂村・新屋敷村・伊与戸村・大木村・平田村・金沢村・法貴寺村・東井上村・西井上村・大安寺村・阪手村・小坂村・鍵村・唐古村・八田村・西代村・今里村の区域で川東村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  5. 1889年4月1日明治22年式下郡の宮古村・黒田村・富本村・新町村・八尾村の区域で都村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  6. 1897年4月1日明治30年式上郡・式下郡・十市郡の区域で磯城郡が発足し、田原本町・多村・平野村・川東村・都村は磯城郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  7. 1956年9月30日昭和31年磯城郡田原本町・多村・川東村・都村・平野村が合併し、新しい田原本町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.nara.lg.jp
  8. 1957年7月1日昭和32年磯城郡田原本町の大字飯高・大垣・豊田・西新堂・新ノ口が橿原市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
  9. 1958年10月15日昭和33年磯城郡田原本町の大字檜垣・遠田・海知・武蔵が天理市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nara.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

田原本町1889〜今
川東村1889〜1956
都村1889〜1956
平野村1889〜1956
多村1889〜1956

参考にした資料