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広陵町こうりようちょう

1920年には4の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の広陵町になりました。

4町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の広陵町

奈良盆地の中西部にある町です。西部には馬見丘陵が広がり、東部には曽我川や葛城川に挟まれた田園地帯があります。北部の箸尾駅周辺には古い集落が残り、真美ヶ丘ニュータウンには住宅街が広がります。靴下作りが地場産業として育ち、なすの栽培も盛んです。巣山古墳をはじめとする古墳や、三重塔のある百済寺など歴史を伝える場所があり、馬見丘陵公園や竹取公園は身近な憩いの場となっています。

今の広陵町の区域の人口は、2020年の国勢調査で33,810人です。今の区域で数えた1980年の18,427人とくらべると83.5%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は26.3%です。

33,810人人口(2020年)
+83.5%1980年からの増減
16.3km²面積(国土地理院)
2,074人/km²人口密度
26.3%65歳以上の割合
33,8101980199020052020
15歳未満 14.8%15〜64歳 58.9%65歳以上 26.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:靴下製造を中心とする地場産業があり、なすや米の栽培も営まれています。

特産品・名産

  • 靴下農家の副業から育った町の地場産業
  • なす町を代表する特産野菜
  • 金魚すくいのポイ町内で作られるプラスチック製品

見どころ・祭り

  • 巣山古墳馬見古墳群を代表する国指定特別史跡
  • 百済寺鎌倉時代の三重塔が残る寺
  • 竹取公園かぐや姫にちなむ公園
  • 馬見丘陵公園古墳と季節の花々にふれられる公園

木モクセイ花ヒマワリ広陵町の木・花

広陵町のなりたち

広陵町(こうりようちょう)は、奈良県中部地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。百済村・馬見村・瀬南村・箸尾村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の広陵町になりました。

今の名前「広陵町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の馬見村が約7km²だったのに対し、今の広陵町は約16km²と、およそ2.4倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は北葛城郡に属していました。

41920年の町村の数
2回合併・編入の回数
16km²今の面積
1956年いちばん新しい合併

「広陵町」という名前

「広陵」は、かつての広瀬郡の「広」と、馬見丘陵の「陵」を合わせた町名です。1955年(昭和30年)、馬見町・瀬南村・百済村の新設合併によって誕生しました。町の西部には古墳が多く残る丘陵があり、東部には曽我川や葛城川に挟まれた田園地帯が広がります。翌1956年には箸尾町も編入され、広瀬の平野と馬見の丘陵を含む町へとまとまりました。

まちの成り立ち

広陵町は、馬見丘陵の古墳群と、川の恵みを受ける田園地帯が一つになったまちです。百済寺には鎌倉時代の三重塔が残り、南郷・古寺・箸尾などの集落には周囲を濠で囲んだ歴史も伝わります。

1889年(明治22年)4月1日、町村制により広瀬郡に馬見村・瀬南村・百済村・箸尾村・河合村が発足しました。1892年には河合村の沢・寺戸・大場が箸尾村に移ります。1897年に葛下郡と広瀬郡がまとまり、各村は北葛城郡に属しました。箸尾村は1927年4月29日、馬見村は1953年5月1日に町制を施行しています。

1955年(昭和30年)4月15日、馬見町・瀬南村・百済村の新設合併で広陵町が誕生しました。1956年9月1日には箸尾町を編入します。1957年には池尻と藤森の一部が大和高田市へ、1965年には広瀬の一部が三宅村へ移りました。1975年には香芝町と区域を交換し、1978年には的場の一部が三宅町へ編入されています。

町では農家の副業から始まった靴下作りが地場産業へ育ちました。現在は、箸尾駅周辺の北部、靴下産業の息づく西部、田園の広がる東部、真美ヶ丘ニュータウンの住宅地が、それぞれの特色を持っています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、広瀬郡に馬見村・瀬南村・百済村・箸尾村・河合村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1892年2月12日明治25年広瀬郡河合村沢・寺戸・大場が箸尾村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
  3. 1897年4月1日明治30年葛下郡と広瀬郡の区域で北葛城郡が発足し、馬見村・瀬南村・百済村・箸尾村・河合村が同郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1927年4月29日昭和2年北葛城郡箸尾村が町制を施行し、箸尾町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.nara.lg.jp
  5. 1953年5月1日昭和28年北葛城郡馬見村が町制を施行し、馬見町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.nara.lg.jp
  6. 1955年4月15日昭和30年北葛城郡馬見町・瀬南村・百済村が合併し、広陵町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.nara.lg.jp
  7. 1956年9月1日昭和31年北葛城郡箸尾町が広陵町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
  8. 1957年7月1日昭和32年北葛城郡広陵町池尻と藤森の一部が大和高田市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
  9. 1965年1月1日昭和40年北葛城郡広陵町広瀬の一部が磯城郡三宅村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
  10. 1975年9月1日昭和50年北葛城郡香芝町と広陵町の区域の一部が等積交換された。種類:一部編入 出典:www.pref.nara.lg.jp
  11. 1978年12月1日昭和53年北葛城郡広陵町的場の一部が磯城郡三宅町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nara.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

広陵町1953〜今
箸尾村→箸尾町1889〜1956
百済村1889〜1955
馬見村1889〜1955
瀬南村1889〜1955

参考にした資料