今の川西町
川西町は、奈良盆地の中央部に広がる平坦な町です。寺川・飛鳥川・曽我川などの流れが大和川に集まり、水辺と田園の景観が続きます。結崎や唐院などの古い集落を中心に、水運と農業で発展しました。現在は住宅地と工業団地も広がり、貝ボタン製造と伝統野菜の結崎ネブカで知られます。島の山古墳や神社が残り、結崎には能楽の観世流にまつわる伝承が受け継がれています。
今の川西町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,167人です。今の区域で数えた1980年の9,446人とくらべると13.5%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.5%です。
主な産業:貝ボタン製造を中心とする地場産業、工業団地の製造業、結崎ネブカなどの農業が営まれています。
特産品・名産
- 貝ボタン輸入した貝を削り、磨いて作る地場産品
- 結崎ネブカ柔らかく甘みのある大和の伝統野菜
- 結崎ネブカ焼酎「一天一束」米焼酎に結崎ネブカの風味を加えた酒
見どころ・祭り
- 島の山古墳周濠を持つ前方後円墳。国の史跡
- 糸井神社結崎に鎮座し、秋祭りを伝える古社
- 面塚観世流と結崎ネブカの伝承を伝える塚
木ケヤキ花コスモス川西町の木・花
川西町のなりたち
川西町(かわにしちょう)は、奈良県北部地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに川西村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は磯城郡に属していました。
「川西町」という名前
川西町の名は、1889年(明治22年)の町村制で生まれた川西村から受け継いでいます。結崎・下永・吐田・唐院・梅戸・保田の六つの村がまとまり、この村名が使われるようになりました。1975年(昭和50年)の町制施行でも「川西」の名を保ちました。今も六つの旧村名が町内の大字として続いています。
まちの成り立ち
川西町の区域には、古墳時代の島の山古墳が残ります。中世には集落が形成され、結崎は能楽の観世流にゆかりのある土地となりました。江戸時代の村々は郡山藩の領地で、水運や農業を中心に暮らしが営まれていました。
1889年(明治22年)4月1日、式下郡の結崎村・下永村・吐田村・唐院村・梅戸村・保田村の区域で川西村が発足しました。1897年には式上郡・式下郡・十市郡がまとまって磯城郡となり、川西村も新しい郡に属しました。
1906年には、町内で二戸の業者による貝ボタン製造が始まりました。輸入した貝を加工する仕事が農家の副業として広がり、大正時代には地域の経済を支える産業に育ちました。1966年には唐院工業団地、1973年には結崎工業団地が建設されました。農業と地場産業の村に、工業や住宅地の機能が加わっていきました。
1975年(昭和50年)4月1日、川西村が町制を施行して川西町となりました。1995年には町の花コスモスと町の木ケヤキが制定されました。現在は貝ボタンの生産や伝統野菜の結崎ネブカの栽培が続き、古い集落と工業団地、住宅地が共存しています。
年表
- 1889年4月1日明治22年式下郡の結崎村・下永村・吐田村・唐院村・梅戸村・保田村の区域で川西村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年式上郡・式下郡・十市郡の区域で磯城郡が発足し、川西村は磯城郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1975年4月1日昭和50年磯城郡川西村が町制を施行し、川西町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.nara.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.pref.nara.lg.jp/documents/12514/n040103.pdf
- ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%8F%E4%B8%8B%E9%83%A1
- ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%B8%82%E9%83%A1
- ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%AF%E5%9F%8E%E9%83%A1
- www.town.nara-kawanishi.lg.jp/0000003837.html
- www.town.nara-kawanishi.lg.jp/0000001929.html
- www.town.nara-kawanishi.lg.jp/0000001803.html