今の大和町
宮城県中部、仙台市の北に位置する黒川郡の町です。町の中央に富谷市が南から突き出していて、周りは大衡村や色麻町などに接する不規則な形です。北西には船形山があり、七ツ森の山々が町のシンボルです。江戸時代には吉岡宿が黒川郡の中心として栄えました。仙台北部中核工業団地には大きな工場が集まります。
今の大和町の区域の人口は、2020年の国勢調査で28,786人です。今の区域で数えた1980年の18,662人とくらべると54.2%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.0%です。
主な産業:仙台北部中核工業団地に工場が立地し、宮城大学もあります。
特産品・名産
- 島田飴島田飴まつりの日に売られる縁起物の飴
- 台ヶ森焼百窯の里で焼かれる焼き物
見どころ・祭り
- 七ツ森笹倉山など七つの山の総称
- 吉岡宿江戸時代の宿場町
- 吉岡八幡神社12月14日に島田飴まつりが開かれる
- 宮床宝蔵旧宮床伊達家住宅。町の文化財
- 七ツ森湖畔公園七ツ森のふもとにある公園群
木もみじ花つつじ大和町の木・花
大和町のなりたち
大和町(たいわちょう)は、宮城県仙台地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。吉田村・落合村・吉岡町・宮床村・鶴巣村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の大和町になりました。
今の名前「大和町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の吉田村が約118km²だったのに対し、今の大和町は約232km²と、およそ2.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は黒川郡に属していました。
「大和町」という名前
「大和」の由来ははっきりしていません。1955年(昭和30年)4月20日、昭和の大合併で吉岡町、落合村、鶴巣村、宮床村、吉田村が新設合併したときに生まれた町名です。合併した5つの旧町村のいずれの名も引き継がず、新しく付けられた名です。読みは「たいわ」です。
まちの成り立ち
大和町の中心の吉岡は、江戸時代に宿場町として栄えました。1615年から1616年(元和元年から2年)にかけて、伊達政宗の子の伊達宗清が吉岡城を築き、城下と宿場を整えました。吉岡宿は黒川郡の中心で、宿場が重い負担で衰えかけたとき、商人の穀田屋十三郎らがお金を集めて仙台藩に貸し、その利息で町を支えたと伝えられます。この話は2016年(平成28年)に映画『殿、利息でござる!』になりました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、黒川郡に吉岡町と吉田村・宮床村・鶴巣村・落合村ができました。1955年(昭和30年)4月20日、昭和の大合併でこの5つの町村が合併し、大和町が発足しました。
1997年(平成9年)には宮城大学が開校しました。大松沢丘陵には仙台北部中核工業団地が造られ、2011年(平成23年)には東京エレクトロン宮城の新工場が操業を始めるなど、工場の立地が進んでいます。町の北西には船形山がそびえ、七ツ森の山々が町のシンボルになっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、黒川郡に吉岡町・吉田村・宮床村・鶴巣村・落合村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1933年5月1日昭和8年黒川郡鶴巣村の一部(下草の一部)が富谷村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年4月20日昭和30年黒川郡の吉岡町・落合村・鶴巣村・宮床村・吉田村が合併して大和町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。