今の川崎町
宮城県南西部、蔵王連峰の麓にある町です。山岳と丘陵が町の面積の大部分を占め、盆地には碁石川などの川が河岸段丘をつくっています。釜房ダムがつくった釜房湖があり、湖畔には国営みちのく杜の湖畔公園があります。町内には蔵王の御釜もあります。碁石川や北川、前川が流れ、仙台市と山形市を結ぶ道が通る山あいの町です。
今の川崎町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,345人です。今の区域で数えた1980年の10,636人とくらべると21.5%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.6%です。
主な産業:農林業と、湖畔公園や温泉を訪れる人の観光業があります。
特産品・名産
- 青根こけし青根温泉に伝わるこけし
見どころ・祭り
- 国営みちのく杜の湖畔公園釜房湖のほとりの国営公園
- 釜房湖(釜房ダム)1970年に完成したダムの湖
- 御釜蔵王連峰の火口湖
- 峩々温泉蔵王の山あいの温泉
- 青根温泉蔵王のふもとの温泉地
木ドウダン花シャクナゲ鳥キジ川崎町の木・花・鳥
川崎町のなりたち
川崎町(かわさきまち)は、宮城県仙南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。富岡村・川崎村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の川崎町になりました。
今の名前「川崎町」は、1920年にあった川崎村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は柴田郡に属していました。
「川崎町」という名前
「川崎」という町名は、1889年(明治22年)の町村制で前川村・本砂金村・今宿村・小野村・川内村の5つの村が合わさってできた川崎村の名を受け継いだものです。この名の由来ははっきりしていません。江戸時代には町内に川崎城があり、1722年(享保7年)からは伊達氏の一族である川崎伊達氏が治めました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、前川村・本砂金村・今宿村・小野村・川内村の5つの村が合わさり、柴田郡に川崎村が発足しました。となりには、菅生村と支倉村が合わさった富岡村ができました。
1948年(昭和23年)5月3日に町制を施行して川崎町となりました。1955年(昭和30年)4月20日には、川崎町と富岡村のうち旧支倉村の区域が合併し、新しい川崎町が発足しました。富岡村の残りの旧菅生村の区域は、村田町に加わっています。1960年(昭和35年)3月には、支倉地区の一部が村田町に移りました。
1970年(昭和45年)には釜房ダムが完成して釜房湖が生まれ、湖のほとりにはのちに国営みちのく杜の湖畔公園がつくられました。1981年(昭和56年)には仙台と山形を結ぶ国道の笹谷トンネルが開通しています。町は蔵王連峰のふもとにあり、山と丘陵が面積の大部分を占めます。碁石川に集まる太郎川・北川・前川が、盆地に河岸段丘をつくっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、柴田郡の前川村・本砂金村・今宿村・小野村・川内村が合併して川崎村が、菅生村・支倉村が合併して富岡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1948年5月3日昭和23年柴田郡川崎村が町制を施行して川崎町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年4月20日昭和30年柴田郡の川崎町と富岡村の一部(支倉)が合併し、改めて川崎町が発足した。富岡村の残り(菅生)は村田町に加わった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1960年3月14日昭和35年柴田郡川崎町の一部(支倉の一部)が村田町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。