今の柴田町
宮城県南部、柴田郡にある町で、仙台市から南へ約25キロメートルの所にあります。白石川沿いの船岡盆地と、阿武隈川沿いの槻木盆地が主な市街地です。船岡城址公園と白石川堤の一目千本桜は桜の名所として知られ、春のさくらまつりには多くの人が訪れます。江戸時代の城下の船岡と、宿場町の槻木の二つの町が合併してできた町です。
今の柴田町の区域の人口は、2020年の国勢調査で38,271人です。今の区域で数えた1980年の32,106人とくらべると19.2%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.3%です。
主な産業:仙台都市圏の住宅地で、米や野菜づくり、味噌などの加工品づくりも行われています。
特産品・名産
- 雨乞のユズ自生のユズでは日本の最北限とされる
- ぜいたく味噌町で長く親しまれてきた味噌
見どころ・祭り
- 船岡城址公園船岡城の跡で桜の名所
- 白石川堤一目千本桜白石川の堤に続く桜並木
- 観光物産交流館さくらの里船岡城址公園にある物産館
木もみの木花さくら鳥きじ柴田町の木・花・鳥
柴田町のなりたち
柴田町(しばたまち)は、宮城県仙南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。槻木町・船岡村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の柴田町になりました。
今の名前「柴田町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は柴田郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧槻木町の区域には槻木駅(阿武隈急行線)があります。旧船岡村の区域には船岡駅(東北本線)があります。
「柴田町」という名前
町の名は、1956年(昭和31年)に船岡町と槻木町が合併したとき、町が属する柴田郡の名をとって付けられました。「柴田」という郡名そのものの由来ははっきりしていません。町は、江戸時代に原田甲斐や柴田家の館があった船岡と、奥州街道の宿場町だった槻木の2つの町が合わさってできています。
まちの成り立ち
江戸時代、船岡には伊達騒動で知られる原田甲斐や、のちに柴田家の館がありました。槻木は仙台藩の穀倉地帯で、奥州街道の宿場町でした。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、柴田郡に船岡村と槻木村が発足しました。船岡村は船岡村と上・中・下の名生村が、槻木村は入間野村・入間田村・海老穴村など10の村が合わさってできた村です。槻木村は1904年(明治37年)4月1日に町制を施行して槻木町に、船岡村は1941年(昭和16年)11月3日に町制を施行して船岡町になりました。
1956年(昭和31年)4月1日、船岡町と槻木町が合併して柴田町が発足しました。平成の時代には2002年(平成14年)に大河原町・村田町と合併協議会を設けましたが、協議はまとまらず、柴田町は単独の町として続いています。
町は白石川沿いの船岡盆地と、阿武隈川沿いの槻木盆地を中心に広がっています。船岡城址公園と白石川堤の一目千本桜は、日本さくら名所100選に選ばれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、柴田郡に船岡村と槻木村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1904年4月1日明治37年柴田郡槻木村が町制を施行して槻木町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1941年11月3日昭和16年柴田郡船岡村が町制を施行して船岡町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1956年4月1日昭和31年柴田郡の船岡町と槻木町が合併して柴田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。